3月頭から埼玉の実家へ帰省し、その足で東北へ行ってきました。
目的はカヤック仲間やボランティア活動でお世話になった人たちに会いに行くためです。
最初に立ち寄ったのは宮城県の七ヶ宿ダムの湖畔にある「水守の郷」の海さんのピザ屋さん。
元ミュージシャンの海さんとは震災直後、登米市にあったボランティアセンターでご一緒し夫婦ともどもお世話になったかたです。
独学で学んだという窯焼きピザ。
今回は東北の海の幸「ホヤ」を使ったスペシャルメニューをいただきました♪
トマトソースとチーズに良く合い、ホヤの美味さをあらためて実感しました~。
海さん、ご馳走さまでした!
その夜は仙台市内に住まうJSCA(日本セーフティカヌーイング協会)理事長でもある「アースクエスト」紺野さんの事務所とご自宅へお邪魔させてもらいました。
紺野家とはもうかれこれ10年以上のお付き合い。
現在、アースクエストが事務所を借りている紺野さんの奥さんのご実家とも旧知の仲なのです。
ご自宅ではご近所の美味しいお肉屋さんのお肉で焼き肉パーティをしていただき、がっつり満腹になりました。
紺野さん、夜分遅くまでお付き合いくださってありがとうございました!
(食べるのに夢中だったので写真がありません~汗)
翌日は釜石へ。
「MESA」の草山さんは仮設商店街でカレー屋さんをやりながらシーカヤックガイドも再開していらっしゃいます。
そして知る人ぞ知る(!?)カヤック界の女傑さだっち。
すっかりお母さんになってしまい潮っ気も抜けているようでしたが、旦那さんとも古くからの知り合いなので話は尽きませんでした。
この日が3月11日。
ちょうど僕らがお店に着いて一休みしていると防災無線から長く尾をひくようにサイレンが鳴り響き、お店にいらっしゃっていた他のお客さんたちも一緒に黙祷を捧げました。
もう6年。
まだ6年。
色んな思いが去来し心静かに黙祷をしていると、不思議と生後4ヶ月の息子も大人しくしてくれたのでした。
その後はさだっちの旦那さんが打ってくれたソバをすすりながら、昔話に花が咲きました。
カヤック仲間との再会は楽しいですね!
次回来るときはまた漕ぎましょう~♪
この日の夜は登米市まで戻って「手のひらに太陽の家」に泊まりました。
木の香りがとっても素敵なお宿で、のんびり過ごせました。
翌朝は夜泣きされたので(笑)昼過ぎまでゆっくりさせていただき、併設するカフェ「te to te」でランチもいただきました。
そして気仙沼市の小泉地区へ移動しました。
小泉中学校前の仮設住宅。
ここは震災直後は避難所として多くの方たちが身を寄せ合い、のちに校庭に仮設住宅が立ったところです。
避難所だったころ、僕たち夫婦はボランティアとして活動のお手伝いをしていました。
お手伝いをしていたのは「ひまわりサロン」というお茶飲み場です。
「ひまわりサロン」を開いたのは神戸から来ていらっしゃった通称ひまわりおじさん。
阪神淡路大震災の時からボランティア活動を熱心にされており、東日本大震災の時も真っ先に駆け付けたそうです。
その「ひまわりサロン」に集まっていた被災者の方々とボランティアのみんなとの集まりが、小泉中学校仮設住宅の集会所をお借りして開かれました。
この集まりは「ありがとう交流会」として、震災後毎年3月11日ころに行われてきました。
今年は大きなニュースがありました。
この小泉中学校前の仮設住宅が今年5月に撤去されることになったのです。
そして小泉中学校も閉校して合併することになったそうです。
仮設住宅がなくなるというのは復興が進んでいることでもあるのでいいことかもしれませんが、中学校までなくなってしまうというのはやはり寂しい気持ちがしました。
「ありがとう交流会」も来年以降は場所を替えてすることになるでしょう。
僕ら夫婦は3年ぶりの参加でしたが、このタイミングに来ることができ、良かったと思っています。
この夜は2時まで飲み、ひまわりおじさんの感慨深げな表情を見ながら集まった仲間と色んなことを語り合ったのでした。
翌日。
二日酔いの気怠い身体にムチ打って(笑)、ひまわりおじさんのお手伝いをしました。
仮設住宅のすぐ近くの小泉小学校で「防災楽習迷路」をすることになったからです。
これはひまわりおじさんが主催するNPOの防災教育活動で、迷路を辿りながら防災について学ぶというとても面白い教材です。
小学校と幼稚園のみんなが来てくれました~。
こうして真面目に(?)ボランティア活動もして、その夜はまた登米の「手のひらに太陽に家」に戻りました。
夜はボランティアの時にお世話になったTさん親子に晩ご飯をご馳走になってしまいましたが、こうして人付き合いが切れずに続いていくことがとても大切だと感じました。
いよいよ旅も終わりです。
帰路は楽チン&ちょっと贅沢に仙台~名古屋のフェリーを利用しました。
折しも低気圧ががっつり太平洋上を通過し、船は夜半まで揺れました。
船酔い薬をあらかじめ飲んでいた奥さんは大丈夫でしたが、なんとこの僕が少し船酔いに笑。
それでも翌朝には空は晴れ上がり、伊勢湾に入ってしまえば揺れもほとんど感じられなくなりました。
上陸後にもう一軒、友人宅へお邪魔してランチをご馳走になり(食べてばっかりですね笑)、五ケ所湾に帰り着いたのは夜8時過ぎでした。
小泉地区の慰霊碑の前にて。
震災から6年。
僕たち夫婦が出会ってから6年。
子供が産まれてから4ヶ月。
いつまたこの場所へ戻って来れるか今はまだ分かりませんが、その時には「ただいま」と言いたいものです。
ここでは書ききれないほどたくさんの方々と再会し、本当に色々とお世話になりました。
またいつか、東北へ帰ります。
ありがとうございました!
サニーコーストカヤックス公式ブログ シーカヤックのスクールとツアー、体験ツアーを開催 http://sunnycoastkayaks.s2.weblife.me/
2017年3月17日金曜日
2015年10月1日木曜日
2015年10月1日 田曽浦の清掃活動のお手伝いをしてきました
今日から神無月ですね。
あいにくの雨の中、五ヶ所湾の玄関口の一つ、田曽浦の海岸清掃のお手伝いをしてきました。
今月10日に開催かれる第3回フィッシングフェスティバルに向けた浜掃除です。
集まったのは観光協会の会員の方と事務局員の10名ほど。
旅館の女将さんも来ていらっしゃいました。
一時間ちょっとで持参したゴミ袋が足らなくなり、買い足しに。
それでもまだまだゴミは集め切れませんでしたが、ずいぶんキレイにすることができました。
一人ではなかなか出来ないですが、みんなが集まれば出来るものですね。
この日は町内の別の場所でも清掃活動が行われました。
町外からいらっしゃる方々にきれいな南伊勢の町を見てもらいたい。
そんな思いでこれからも美化活動を続けていきたいですね。
僕もまた、いつも使っている浜の掃除をしようと思います。
継続は力なり。
浜がきれいになると海もきれいになります。
いつまでもきれいで平和な海を。
あいにくの雨の中、五ヶ所湾の玄関口の一つ、田曽浦の海岸清掃のお手伝いをしてきました。
今月10日に開催かれる第3回フィッシングフェスティバルに向けた浜掃除です。
集まったのは観光協会の会員の方と事務局員の10名ほど。
旅館の女将さんも来ていらっしゃいました。
一時間ちょっとで持参したゴミ袋が足らなくなり、買い足しに。
それでもまだまだゴミは集め切れませんでしたが、ずいぶんキレイにすることができました。
一人ではなかなか出来ないですが、みんなが集まれば出来るものですね。
この日は町内の別の場所でも清掃活動が行われました。
町外からいらっしゃる方々にきれいな南伊勢の町を見てもらいたい。
そんな思いでこれからも美化活動を続けていきたいですね。
僕もまた、いつも使っている浜の掃除をしようと思います。
継続は力なり。
浜がきれいになると海もきれいになります。
いつまでもきれいで平和な海を。
2014年4月16日水曜日
東北ボランティア・センチメンタル・ジャーニー ~ その4、小泉ありがとう交流会 ~
3月11日、夕方。
小泉自然楽校へ向かいます。
駐車場に車を止めて奥の大型テントのほうを見ると、煙が上がっていました。
海さんのピザ釜です。
近付くと香ばしい生地の匂いと、具材の焼けた匂いとが食欲を刺激してきました。
ピザ釜は昨日の夕方に僕もお手伝いして設置しました。耐熱レンガを組んで作ります。
構造そのものはシンプルなので、人手さえあれば1時間ほどで出来上がります。
次々に焼き上げられていくピザはロールケーキ型の白い大型テントの中へ運ばれていきます。中を覗くと地元の人たちが歓談していました。
小泉自然楽校の生徒さんたちもパスタを作ったり、おが自然学校のヨシエさんのお手伝いをして秋田名物きりたんぽを作ったりしてくれていました。
堪え切れずにピザやきりたんぽをつまみ食いさせていただき、缶ビールをプシュリ!
さあ、サニーコーストカヤックスも出動です。
持ってきたコンロを出し、買い出ししてきた食材を並べ、下ごしらえを始めました。
鋳物のタコ焼き鉄板を取り出すと子供たちが集まってきました。
わーいッ!タコ焼きだ~!!
四人の女の子に囲まれ、私がやる私もやると言ってピックを離しません。
仕方がないので火傷に気を付けてねと言って焼いてもらいました。
初めての子もいましたが、お家でやったことあるという子をお手本にしてけっこう上手にクルリとしてくれます。
そうして出来上がったのをハフハフしながら食べて大満足。
全部食べちゃダメだぞ、みんなに配ってきてねと言うと小走りにお皿を持ってテントの中へ行きました。
そんな感じで数回焼き、きりたんぽも頬張り、子供たちと地元のおばちゃんたちは暗くなる前に帰っていきました。タコ焼き焼いてくれてありがとね~。
暗くなってからは大人の部(?)開始です。
地元の議員さんも同席され、缶ビールが配られます。
小泉自然楽校代表の阿部さんからご挨拶があり、小泉ありがとう交流会二次会の始まりです。
美味しい食べ物と楽しいおしゃべり。
小泉ありがとう交流会は
「 小泉の人
小泉中体育館避難所で暮らした人
支えた人
全国から集まったボランティアの皆さん
当時を思い出しながら語り合いましょう
生きていることに感謝して
心おだやかに過ごしたいと思います
よろしくおねがいいたします
ありがとう 」
という趣旨で集まりました(ヨシエさんの原文まま)。これは昨年、同じ日、同じ場所で約束したことでした。
その約束を果たすために、なんて堅苦しい思いは僕にはありません。それは僕の奥さんも同じです。
また来たいね、行きたいなあ、行こうよ、いつから行く?みたいに自然に行こうと決めました。
夜9時過ぎ、僕らは明日の予定があるため途中退席させてもらいました。
何人もの人たちにギュッと固く握手され、また来てねと声を掛けていただきました。
そしてテントの外に出てみると、ひまわりおじさんが待ち構えていてハグをしてくれました。
小柄なのに力強く温かいハグでした。
ひまわりおじさんは自然楽校の林にこだまするような大きな声で最後まで見送ってくれました。
さらに車に戻るとヨシエさんがいて、コレ持って帰ってネとたくさんお土産をくれました。
中でもうれしかったのはヨシエさんお手製の貝殻の根付け(キーホルダー)。いっぱいあるからと3つずつもらいました。
昨年も素敵な陶器のワイングラスをいただいたのですが、この根付けも大事に毎日使っています。
別れを惜しみつつ奥さんの運転で小泉を離れました(奥さんはお酒NGなので飲んでいません)。
そして翌日。
仙台港発名古屋行のフェリーに乗りこみました。
特別割引プランがあり、高速道路を走るよりも安上がりなのです。
船室に荷物を置き、小雨交じりの冷たい風が吹くデッキに上がりました。
津波に襲われたはずの仙台港は、一見すると元の姿に戻って活気に溢れているようでした。
汽笛が鳴り響き、出航。
少しバタバタとした旅でしたが、旅のフィナーレが船というのはなんとも贅沢な気分です。
色々と旅の思い出を二人で話しました。
来年もまた、小泉へ行きます。
でも今度はカヤックを海に浮かべて子供たちと遊びたいと思っているので、暖かい時期にしようかなあとも考えています。
その時にはまた、小泉の皆さんにお会いできるでしょうか。
ゆっくりと流れていく港内の景色を眺めながら、またねと心の中でつぶやくのでした。
東北ボランティア・センチメンタル・ジャーニー 完
2014年4月10日木曜日
東北ボランティア・センチメンタル・ジャーニー ~ その3、小泉の海岸 ~
2014年3月11日、昼。
ネットアートの架け替えが終わり、みんなで近所へご飯を食べに行った後、うちの奥さんと2人で海岸へ行きました。
震災以来、東北の浜に近付いたのは女川の御前浜以外にはありません。
気仙沼の海は空を映して青くきれいでした。
西の風が相変わらず吹いていたので砂浜に打ち寄せる波は静かで、海は穏やかな表情を見せていました。歩いてみるとこんなサイズの貝殻がゴロゴロ転がっていていました。
大アサリかハマグリでしょうか。
普通のサイズ感ではないので良くわかりません。
もしかして放射能で、なんて考えないでもないですが、おそらく採る人が減ってしまったために巨大化したんだろうと思われます。
岩牡蠣とおぼしき殻も落ちていましたが、寒風吹きすさぶ冬の海岸でなければむくむくと食欲が湧くような大物ばかりでした。
浜はとてもきれいでした。
きれいというのはゴミがないという意味です。聞いた話だとつい先日、地元のサーファーを中心としたグループが浜掃除をしたそうです。
ところがその時、なんと人骨が出てきたというのです。詳しくは聞けませんでしたが、まだまだそうしたことがあるんだなと驚かされるとともに、未だに家族の元へ帰れていない方々の無念に思いを馳せるのでした。
波打ち際に残る建物。シンボリックな佇まいもここまで近付いてみると細かな構造まで見えてしまいます。
タイルがはげ落ちた壁。
ねじ曲げられた鉄骨。
窓から覗く室内。
3年前の今日、ここで起こった出来事は僕の想像をはるかに越え、そして多くの犠牲者を出しました。
僕にはあまりにも禍々しいその存在感。
建物はただ、波に打たれていました。
そして、午後2時過ぎ。
3年目のこの日も昨年同様に気仙沼の小泉地区に立つ津波記憶碑の前に来ました。
慰霊祭を先だって週末に行ったこともあり、また平日でしたので特別な催しはなかったのですが時間が近付いてくるとぽつりぽつりと人が集まりだしました。
午後2時46分。
防災無線から鳴り響くサイレン。
相変わらずの冷たい西の風に吹かれながら、僕には一心に黙祷を捧げることしかできません。
眼下に先ほど歩いてきた海岸と、国道45号線と、建物が一つもない更地が広がっていました。
復興はまだ、道半ばです。
2014年3月30日日曜日
東北ボランティア・センチメンタル・ジャーニー ~ その2、ひまわりおじさんのネットアート ~
2014年3月11日火曜日。晴れ。
強く冷たい西風が小泉中学校のバックネットに据えられたひまわりおじさんのネットアートのサケをひるがえしていく。
昨年の同じ日に立て掛けたサケのネットアートも一年経ちだいぶ色があせ、ホチキスで止めてある布きれも縮れていました。
この日の午前中はこのネットアートの付け替えをお手伝いしました。
昨夜は遅くまで続いた懇親会のその後に、小泉の仮設住宅に住んでいるOさんから「新居で風呂に入ってってくれ!」とお誘いを受け、ご厚意に甘えさせていただきました。
Oさんの新居は高台にありました。もう深夜でしたが周りにも新築や建築中の家がいくつかあるようすがうかがえる所です。まだ手の入っていない庭の一角に車を止め一歩踏み出すと、ざくりと音がして霜柱の感触が足に伝わってきます。
新居といってもOさんはまだ引っ越しをしていません。でも家財道具はほぼ持ち込まれていて、電気も水道もガスも通っていました。
まだ新居に慣れていないようでスイッチの場所を探したり、肝心のお風呂の使い方もよくわからなかったのでOさんと僕とウチの奥さんの三人であーだこーだと相談してやっとこさ湯船にお湯を張ることができるといった具合です。
お湯が張り終わるまでの間、リビングでOさんから色々な話を聞きました。
Oさんのように山や高い所に土地を持っている人たちはこうして新居を建てることができるようになってきましたが、そうでない人たちは2015年春に完了予定の造成工事が終わらないと仮設住宅から出ることもできないそうです。住宅の建設はその後ですから、仮設住宅がなくなるにはまだ2、3年は掛かるだろうとのこと。まだまだ復興は道半ばだなあとしみじみ思いました。
仮設住宅も住めば都、というわけにもなかなかいかないようで、悩みの種は「音」と「湿気」だそうです。
「音」は隣近所の生活音。話し声やTV、足音ならアパート暮らしをしたことがある人には分かると思いますが、衣擦れや寝返りをうったのまで聞こえてしまうそうです。
Oさんがもっぱら困っているのは寝っ屁。Oさんが寝っ屁をすると隣の女の子が「お母さん、お隣のおじちゃんまたオナラした~」とわざわざ報告をするそうです。
そして「湿気」ですが、これは土台がきちんと作られていない仮設住宅の特徴で、室内はかなり湿気っぽいそうです。それだけではなく、換気や布団干しをしたいのに外はどこもかしこも工事中で道路にはダンプが行き交い、いつもホコリが舞っていてとても窓を開けたり洗濯物を外に干したりする気になれないというのです。
こうして布団は湿気ていき、部屋はカビ臭くなっていくそうです。
Oさんはしきりに自分はラッキーだ、これからここで住むってのがいまいちピンと来ないと言っていました。
ちなみにOさん家族はまだ誰もこの新居でお風呂に入ったことがなくて、誰が一番最初に入るか?というようなことを話し合っていたのですが、じゃあせっかくだからボランティアとかで来る知っている人に入ってもらおうと考えていたそうです。
ということでOさん家の新居お風呂第一号は僕の奥さんになりました。
いいのかなあ・・・と恐縮しつつも、今度来る時も入っていけ、いや泊まっていけと勧めるOさんの笑顔をみているとなんだか僕らまでうれしくなってきて、また小泉には来なくちゃだなあと思うのでした。
さて、ネットアートに話を戻します。
まずはサケのネットアートの撤去から。
ひまわりおじさん自ら脚立に登ってネットアートを固定していたロープなどを切っていき、一気に外しました。
それを広いところへ持って行って数人掛かりで布きれをとっていきます。
ネットアートはネット(網)に布きれ(ターポリンかな)をホチキスで留めていき絵を完成させるモザイク画のようなものです。
デザインはひまわりおじさんがします。今年は栗原市に以前寄贈したひまわりのネットアートを逆寄贈?していただきましたが、昨年のサケは小泉の人たちと作り上げたものでした。
ていねいに布きれをはずし、ネットは小泉の方が再利用したいというのであげることになっています。また、枠の木材もくぎ抜きをして使えるものは新しいひまわりのネットアートに再利用し、残りも小泉の方に引き取っていただきました。
二手に分かれて同時進行でひまわりのネットアートのほうも作業が進められていました。
今年はひまわりおじさんと海さん(海藤さん)と相棒のナンシーさん、小泉の方々数名と、小泉自然楽校の生徒さんたち、そして震災当時からのボランティア仲間数人が集まりました。
毎年きちんとした計画を立てているわけでもなく、たぶん今年もひまわりおじさんがネットアートするよなあ、じゃあ小泉の人たちにも会いたいし行こうかな、みたいなノリで集まってくる人たちばかりです。
小泉の人たちもひまわりおじさんからは連絡がありますが、他に誰が来るかなんて知りません。
でもみんなすっかり顔見知りです。
そしていよいよ完成です!
しっかりとバックネットに固定された色鮮やかなひまわりのネットアートが風になびきます。
記念にパシャリ。
青空も広がり、みんなの笑顔もひまわりに負けじと輝く3月の小泉でした。
2014年3月23日日曜日
東北ボランティア・センチメンタル・ジャーニー ~ その1、金沢から小泉へ ~
金沢を出発し、一路東北へ。
600kmあまりのドライブでしたが、伊勢から直接行くことを考えれば相当楽な行程です。天気も上々、寄り道、つまみ食いもしながらののんびり運転でした。
途中、facebookの投稿を見て僕らが宮城へ向かっていると気付いた知り合いの方からメッセージが入り、国見PAで桃のソフトクリームを食べるべし!との情報をいただいたので、素直に従いました。
濃厚な蜜桃フレイバーを堪能し、その後はノンストップで今夜の目的地、栗原市へたどり着きました。
栗原では僕と奥さんの共通の友だちと夕飯を食べ(ここでもドタバタがありましたが割愛)、翌日、僕の思い込みと勘違いで登米市鱒渕小学校跡へ向かいました。
勘違いというのは、前夜の話の中で「手のひらに太陽の家」に僕らがお世話になったおばちゃんが出勤しているだろうから会いに行こう!となったのですが、僕はすっかりこの鱒渕小学校跡の裏手にできたものとばかり思い込んでいて、行ってみて違う施設が建っていて、あれ?違ったの??となってしまった次第で、、、。
ただ、ここ鱒渕小学校跡、特にこの体育館は、東日本大震災直後にアウトドア義援隊(後にRQ市民災害支援センター)という名のもとにボランティア有志が集まり、救援物資の配送などをする拠点としたボランティアセンターが設けられた場所で、僕ら二人にとってはとても思い出深い場所なのです。
今はもう震災前のように誰にも使われず、ひっそりと、固く閉じられた扉から中を覗きこみ、往時の記憶を辿るのでした。
さて、改めて「手のひらに太陽の家」を目指して登米市の方へ戻りました。
昨夜から断続的に降っていた雪も太陽が高く昇るころには青空が覗くようになってきました。
カーナビよりも信頼のおけるグーグルマップを頼りに、難なく辿り着けました。
木造の建物に大きなソーラーパネルが屋根に並ぶ「手のひらに太陽の家」。
詳しくはリンク先のホームページを参照していただきたいと思いますが、簡潔に説明すると、福島県の子供たちを週末などを利用して一時的に預かることによって、放射線濃度の高い地域から離れて低い地域にいる時間を作ることで健康被害などを抑えたいという願いで立てられた施設です。
へえ、素敵なところだねえとご挨拶へ行くと、見覚えのあるカヤックキャリアが載せられた赤い車が、、、。なんとアースクエストの紺野さんがいるじゃないですか!
先日、九州の門司で開催されたJSCA日本セーフティカヌーイング協会の総会・研修会でもご一緒した紺野さん、この日は夕方から実施する震災サバイバル研修(だったかな?たぶん)のために「手のひらに太陽の家」に来ていたとか。
今回の東北行では時間が作れそうもなく、紺野さんの奥さんや娘さん(注:旦那さんは含まれておりません笑)に会いに行くことができずスミマセンと連絡をしていたのですが、まさかばったりお会いすることになるとは思わず、お互いにびっくりしたのでした。
せっかくなので紺野さんにお時間をいただいて施設の案内をしてもらい、さらにJSCA公認スクール委員会の臨時委員会!?も開き、昼前に出発しました。
肝心のお会いしたかったおばちゃんは、たまたまお休みの日だったようで電話してみると、せっかくだから来なさいとご自宅にお呼ばれしてランチにスープカレーを御馳走になり、別れを惜しみつつ登米を後にして気仙沼市小泉地区へと車を走らせました。
小泉中学校のすぐ横にある小泉公民館に到着したのは午後3時。
この日、午後2時から「ひまわりおじさん」と海藤節生さんがトークショー(腹話術)とライブをしていました。このお二人にも僕らは大変お世話になっております。
登米でゆっくりしてしまった分、ライブには途中からお邪魔させてもらいました。
ステージにはひまわりのネットアートが飾られていました。
ひまわりおじさんは、阪神淡路大震災のころから震災ボランティアとして、そして防災教育を積極的に取り組んできたおじさんで、東日本大震災後にはここ、小泉中学校避難所(当時)に「ひまわり温泉」を開設してお風呂を提供し、また、「ひまわりサロン」も開いて被災者の方々とボランティアの憩いの場を提供してきました。
小泉地区に仮設住宅ができてからも年数回被災地を訪ね歩き、小泉には校庭のバックネットに大きな「ネットアート」を飾ったりと様々な活動を続けています。
海藤さん(愛称はうみさん)は元プロのミュージシャンで、現在は「「水守の郷・七ヶ宿」代表として宮城県と福島県の県境に近い仙台市の水瓶・七ヶ宿ダムのほとりでピザ屋さんをしています。
この日は平日ということもあり子供たちの姿はありませんでしたが、おそらく「ひまわりサロン」の常連だったであろうおばちゃんたちが多数集まっていました。
主催してくださったのは地元小泉の「小泉自然楽校」の阿部さん。
生徒さんたちもライブの準備を手伝ってくれていました。
皆さん、お疲れ様でした!
4時前に終了し、小泉中学校仮設住宅の集会所へ移動。今夜はここで懇親会です。
この後もボランティアに来ていたメンバーが何人か合流し、集会所には小泉の大人も子供たちも混ざって懐かしい面々で楽しく過ごすことができました。
ただ、酒が進むとオジサンたちはみな子供化するもので、差し入れでいただいた美味しそうなスイスワインのコルクをなんとかして抜こうと、ネジを差し込んで手袋をはめて大の大人が数人がかりで四苦八苦。見事ご馳走にありつけて大拍手!なんておバカなこともしていました。
持ち寄りのお料理には美味しいおこわやホヤの刺身なんかもあり、小泉の夜はあっという間に更けていったのでした。
続く。
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