2014年3月30日日曜日

東北ボランティア・センチメンタル・ジャーニー  ~ その2、ひまわりおじさんのネットアート ~

2014年3月11日火曜日。晴れ。
強く冷たい西風が小泉中学校のバックネットに据えられたひまわりおじさんのネットアートのサケをひるがえしていく。


昨年の同じ日に立て掛けたサケのネットアートも一年経ちだいぶ色があせ、ホチキスで止めてある布きれも縮れていました。
この日の午前中はこのネットアートの付け替えをお手伝いしました。

昨夜は遅くまで続いた懇親会のその後に、小泉の仮設住宅に住んでいるOさんから「新居で風呂に入ってってくれ!」とお誘いを受け、ご厚意に甘えさせていただきました。

Oさんの新居は高台にありました。もう深夜でしたが周りにも新築や建築中の家がいくつかあるようすがうかがえる所です。まだ手の入っていない庭の一角に車を止め一歩踏み出すと、ざくりと音がして霜柱の感触が足に伝わってきます。
新居といってもOさんはまだ引っ越しをしていません。でも家財道具はほぼ持ち込まれていて、電気も水道もガスも通っていました。
まだ新居に慣れていないようでスイッチの場所を探したり、肝心のお風呂の使い方もよくわからなかったのでOさんと僕とウチの奥さんの三人であーだこーだと相談してやっとこさ湯船にお湯を張ることができるといった具合です。

お湯が張り終わるまでの間、リビングでOさんから色々な話を聞きました。
Oさんのように山や高い所に土地を持っている人たちはこうして新居を建てることができるようになってきましたが、そうでない人たちは2015年春に完了予定の造成工事が終わらないと仮設住宅から出ることもできないそうです。住宅の建設はその後ですから、仮設住宅がなくなるにはまだ2、3年は掛かるだろうとのこと。まだまだ復興は道半ばだなあとしみじみ思いました。

仮設住宅も住めば都、というわけにもなかなかいかないようで、悩みの種は「音」と「湿気」だそうです。
「音」は隣近所の生活音。話し声やTV、足音ならアパート暮らしをしたことがある人には分かると思いますが、衣擦れや寝返りをうったのまで聞こえてしまうそうです。
Oさんがもっぱら困っているのは寝っ屁。Oさんが寝っ屁をすると隣の女の子が「お母さん、お隣のおじちゃんまたオナラした~」とわざわざ報告をするそうです。

そして「湿気」ですが、これは土台がきちんと作られていない仮設住宅の特徴で、室内はかなり湿気っぽいそうです。それだけではなく、換気や布団干しをしたいのに外はどこもかしこも工事中で道路にはダンプが行き交い、いつもホコリが舞っていてとても窓を開けたり洗濯物を外に干したりする気になれないというのです。
こうして布団は湿気ていき、部屋はカビ臭くなっていくそうです。

Oさんはしきりに自分はラッキーだ、これからここで住むってのがいまいちピンと来ないと言っていました。
ちなみにOさん家族はまだ誰もこの新居でお風呂に入ったことがなくて、誰が一番最初に入るか?というようなことを話し合っていたのですが、じゃあせっかくだからボランティアとかで来る知っている人に入ってもらおうと考えていたそうです。
ということでOさん家の新居お風呂第一号は僕の奥さんになりました。
いいのかなあ・・・と恐縮しつつも、今度来る時も入っていけ、いや泊まっていけと勧めるOさんの笑顔をみているとなんだか僕らまでうれしくなってきて、また小泉には来なくちゃだなあと思うのでした。

さて、ネットアートに話を戻します。
まずはサケのネットアートの撤去から。


ひまわりおじさん自ら脚立に登ってネットアートを固定していたロープなどを切っていき、一気に外しました。
それを広いところへ持って行って数人掛かりで布きれをとっていきます。

ネットアートはネット(網)に布きれ(ターポリンかな)をホチキスで留めていき絵を完成させるモザイク画のようなものです。
デザインはひまわりおじさんがします。今年は栗原市に以前寄贈したひまわりのネットアートを逆寄贈?していただきましたが、昨年のサケは小泉の人たちと作り上げたものでした。

ていねいに布きれをはずし、ネットは小泉の方が再利用したいというのであげることになっています。また、枠の木材もくぎ抜きをして使えるものは新しいひまわりのネットアートに再利用し、残りも小泉の方に引き取っていただきました。


二手に分かれて同時進行でひまわりのネットアートのほうも作業が進められていました。

今年はひまわりおじさんと海さん(海藤さん)と相棒のナンシーさん、小泉の方々数名と、小泉自然楽校の生徒さんたち、そして震災当時からのボランティア仲間数人が集まりました。
毎年きちんとした計画を立てているわけでもなく、たぶん今年もひまわりおじさんがネットアートするよなあ、じゃあ小泉の人たちにも会いたいし行こうかな、みたいなノリで集まってくる人たちばかりです。
小泉の人たちもひまわりおじさんからは連絡がありますが、他に誰が来るかなんて知りません。
でもみんなすっかり顔見知りです。

そしていよいよ完成です!


しっかりとバックネットに固定された色鮮やかなひまわりのネットアートが風になびきます。
記念にパシャリ。
青空も広がり、みんなの笑顔もひまわりに負けじと輝く3月の小泉でした。

2014年3月23日日曜日

東北ボランティア・センチメンタル・ジャーニー ~ その1、金沢から小泉へ ~

金沢を出発し、一路東北へ。


600kmあまりのドライブでしたが、伊勢から直接行くことを考えれば相当楽な行程です。天気も上々、寄り道、つまみ食いもしながらののんびり運転でした。
途中、facebookの投稿を見て僕らが宮城へ向かっていると気付いた知り合いの方からメッセージが入り、国見PAで桃のソフトクリームを食べるべし!との情報をいただいたので、素直に従いました。


濃厚な蜜桃フレイバーを堪能し、その後はノンストップで今夜の目的地、栗原市へたどり着きました。
栗原では僕と奥さんの共通の友だちと夕飯を食べ(ここでもドタバタがありましたが割愛)、翌日、僕の思い込みと勘違いで登米市鱒渕小学校跡へ向かいました。


勘違いというのは、前夜の話の中で「手のひらに太陽の家」に僕らがお世話になったおばちゃんが出勤しているだろうから会いに行こう!となったのですが、僕はすっかりこの鱒渕小学校跡の裏手にできたものとばかり思い込んでいて、行ってみて違う施設が建っていて、あれ?違ったの??となってしまった次第で、、、。
ただ、ここ鱒渕小学校跡、特にこの体育館は、東日本大震災直後にアウトドア義援隊(後にRQ市民災害支援センター)という名のもとにボランティア有志が集まり、救援物資の配送などをする拠点としたボランティアセンターが設けられた場所で、僕ら二人にとってはとても思い出深い場所なのです。
今はもう震災前のように誰にも使われず、ひっそりと、固く閉じられた扉から中を覗きこみ、往時の記憶を辿るのでした。


さて、改めて「手のひらに太陽の家」を目指して登米市の方へ戻りました。
昨夜から断続的に降っていた雪も太陽が高く昇るころには青空が覗くようになってきました。
カーナビよりも信頼のおけるグーグルマップを頼りに、難なく辿り着けました。


木造の建物に大きなソーラーパネルが屋根に並ぶ「手のひらに太陽の家」
詳しくはリンク先のホームページを参照していただきたいと思いますが、簡潔に説明すると、福島県の子供たちを週末などを利用して一時的に預かることによって、放射線濃度の高い地域から離れて低い地域にいる時間を作ることで健康被害などを抑えたいという願いで立てられた施設です。

へえ、素敵なところだねえとご挨拶へ行くと、見覚えのあるカヤックキャリアが載せられた赤い車が、、、。なんとアースクエストの紺野さんがいるじゃないですか!
先日、九州の門司で開催されたJSCA日本セーフティカヌーイング協会の総会・研修会でもご一緒した紺野さん、この日は夕方から実施する震災サバイバル研修(だったかな?たぶん)のために「手のひらに太陽の家」に来ていたとか。
今回の東北行では時間が作れそうもなく、紺野さんの奥さんや娘さん(注:旦那さんは含まれておりません笑)に会いに行くことができずスミマセンと連絡をしていたのですが、まさかばったりお会いすることになるとは思わず、お互いにびっくりしたのでした。

せっかくなので紺野さんにお時間をいただいて施設の案内をしてもらい、さらにJSCA公認スクール委員会の臨時委員会!?も開き、昼前に出発しました。

肝心のお会いしたかったおばちゃんは、たまたまお休みの日だったようで電話してみると、せっかくだから来なさいとご自宅にお呼ばれしてランチにスープカレーを御馳走になり、別れを惜しみつつ登米を後にして気仙沼市小泉地区へと車を走らせました。

小泉中学校のすぐ横にある小泉公民館に到着したのは午後3時。
この日、午後2時から「ひまわりおじさん」と海藤節生さんがトークショー(腹話術)とライブをしていました。このお二人にも僕らは大変お世話になっております。
登米でゆっくりしてしまった分、ライブには途中からお邪魔させてもらいました。


ステージにはひまわりのネットアートが飾られていました。

ひまわりおじさんは、阪神淡路大震災のころから震災ボランティアとして、そして防災教育を積極的に取り組んできたおじさんで、東日本大震災後にはここ、小泉中学校避難所(当時)に「ひまわり温泉」を開設してお風呂を提供し、また、「ひまわりサロン」も開いて被災者の方々とボランティアの憩いの場を提供してきました。
小泉地区に仮設住宅ができてからも年数回被災地を訪ね歩き、小泉には校庭のバックネットに大きな「ネットアート」を飾ったりと様々な活動を続けています。

海藤さん(愛称はうみさん)は元プロのミュージシャンで、現在は「「水守の郷・七ヶ宿」代表として宮城県と福島県の県境に近い仙台市の水瓶・七ヶ宿ダムのほとりでピザ屋さんをしています。

この日は平日ということもあり子供たちの姿はありませんでしたが、おそらく「ひまわりサロン」の常連だったであろうおばちゃんたちが多数集まっていました。

主催してくださったのは地元小泉の「小泉自然楽校」の阿部さん。
生徒さんたちもライブの準備を手伝ってくれていました。
皆さん、お疲れ様でした!

4時前に終了し、小泉中学校仮設住宅の集会所へ移動。今夜はここで懇親会です。


この後もボランティアに来ていたメンバーが何人か合流し、集会所には小泉の大人も子供たちも混ざって懐かしい面々で楽しく過ごすことができました。

ただ、酒が進むとオジサンたちはみな子供化するもので、差し入れでいただいた美味しそうなスイスワインのコルクをなんとかして抜こうと、ネジを差し込んで手袋をはめて大の大人が数人がかりで四苦八苦。見事ご馳走にありつけて大拍手!なんておバカなこともしていました。


持ち寄りのお料理には美味しいおこわやホヤの刺身なんかもあり、小泉の夜はあっという間に更けていったのでした。

続く。

2014年3月17日月曜日

友人の初個展

金沢の友人が個展を開くというので遊びに行ってきました。
ただ行くだけではなく、大事な使命もありました。
というのは彼女には僕の結婚式の時にウェルカムボードとリングピローを作ってもらい、それも個展に出展したいということだったので、ではではとウチの奥さんと二人で持っていった次第です。


3月8日(土)。金沢市内にあるカフェ&ギャラリー’ミュゼ(musee)’。
兼六園にほど近い路地にあるその建物の二階へあがると、和服姿の友人の姿がありました。


サイフォンの並ぶカウンターとテーブルが数脚あるだけの隠れ家的カフェに設けられたギャラリースペース。そこに「Yuuyu」の作品たちが飾られていました。

「Yuuyu」は彼女が手掛ける小物、雑貨のブランド名。といってもこうしたモノ作りが本業ではなく、副業にしているわけでもありません。あくまでお友達に頼まれたり、プレゼントしたりするために作ってきたものばかり。
それを身に着ける、使うひとをイメージしながら作り上げていく作品たちにはそれぞれにたくさんのエピソードが詰め込まれています。


額に収まっているのは結婚式の時に受付に飾る’ウェルカムボード’です。
手前のが僕たち二人のために作ってもらった作品。


海をイメージしたというこのウェルカムボードには、たくさんの貝殻やシーグラスが散りばめられ、額のガラス面にはサンドアートもあしらわれています。
そして僕たち二人の似顔絵はなんと一筆書きなんです!これは高校時代の同級生にお願いして描いてもらったとか。
何度見てもすばらしい出来栄えですなあ。うっとり~。

左下にあるのがリングピローです。


これは、ウチの奥さんと彼女の二人で金沢市内のホームセンタームサシで二時間余り素材を探し回り、じゃあ出来上がったら連絡するね~と言って別れた後、金沢から伊勢に向かって運転している途中で「出来たよ!」とメールが来てびっくりさせられた一品。
贈るひととイメージがはっきりしていればすぐにカタチにできてしまう彼女の才能に驚かされたものです。


こちらは和装婚の友達に送った髪飾り。
着物の色に合わせて作ったつまみ細工です。


こちらもつまみ細工の一品。
レースもあしらい、和と洋の調和を意識した作品です。
(あ、もちろん受け売りですから笑)


漆喰(?)の壁に残る穴の数々が、これまでに多くの個展などを開いてきたことを静かに物語っていました。その1ページに「Yuuyu」も名を連ねたことになります。

個展初日のこの日、夕方6時から開かれたレセプションパーティーでは、彼女の高校時代の友達でヴァイオリニストの女性の方が生演奏を披露してくれました。


そしてパティシエをしている友達二人からお菓子が届けられ、ヴァイオリンの演奏を聴きながら、かわいい作品たちを見ながら、ゆったりと時間を過ごすことができました。


友人の今後に期待です!いろいろありがとう!!
夢、追っかけようね~( ´ ▽ ` )ノ

2014年3月5日水曜日

ハマジンチョウ

五ヶ所湾の獅子島に自生するハマジンチョウの花が見頃を迎えています。


ハマジンチョウはオーストラリアや東南アジア、南太平洋の熱帯・亜熱帯地方に広く分布している低木で、日本では九州の五島列島、天草や鹿児島などに自生しているのが確認されていますが、本州ではここ南伊勢町五ヶ所湾の獅子島だけ、しかも自生地の北限といわれています。

南伊勢では2、3月に紫色の小さな花を咲かせます。
とても控えめな花で、大きさは指の先ほどしかなく、花は茎の一番上ではなく一段下の葉っぱの付け根に咲き、遠目には咲いているかどうかも分かりにくいくらいです。
強い匂いもなく、顔を近付けても潮の香やアオサのほうが勝ってしまいます。


自生しているのは五ヶ所湾の北の端、五ヶ所浦の集落からすぐ見える獅子島南岸です。
獅子島には弁財天さんをお祭りした社があり、赤い鳥居は海沿いを走る国道260号線からも良く見えますが、ハマジンチョウが咲く南側は道路からは見えません。

ハマジンチョウの種子が藤村の詩で詠われたヤシの実のように南の島から流れ寄り、湾の奥の獅子島の浜に辿りついて自生したのではないかと考えられています。


一時は廃滅の危機に瀕したこともありましたが町の人たちの手によって保護され、今では挿し木で増殖した株を町内で見ることもできるようになりました。


町の人たちでも普段はなかなか渡ることのできない獅子島ですが、カヤックならいつでも本州唯一の自生地へ見に行くことができます!

ハマジンチョウの花が咲くのはこの3月まで。

旅情を誘うはかなくも逞しいハマジンチョウの花をサニーコーストカヤックスのツアーで見に行きませんか?

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