2013年7月30日火曜日

浜で発見!

先日、古和浦のツアーで上陸した薄月の浜で見付けました。


ウミガメでしょう、きっと(確信ないですが、それ以外にはカリ城の影の軍団の仮面しか思い付きません笑)。

サイズは手のひらに余るくらいでしたので、おそらく大人だったのではないでしょうか。天寿を全うして往生したことを願うばかりです。

こういう自然の落し物がけっこう浜にはあるものです。もちろん海水浴場ではない、自然海岸でです。
今までに僕は鹿やイルカなどの大型哺乳類の骨から、小さなものではウニの殻やサンゴの欠片なども見付けてきました。三重県の海岸線での話です。


こちらの写真はきれいな白い砂浜、と思いきや良く見ていただくと分かるように、牡蠣殻が堆積した浜です。
少々アコヤ貝も交じっているかもしれません。五ヶ所湾では真珠養殖をしていますので、けっこうアコヤ貝のキラキラした殻も落ちています。

こうして命が終わり、海に還り、波に洗われ、浜辺に打ち上げられ、角が取れて丸みを帯び、色が抜け白くなり、そして風化し、いよいよ大地に戻ってゆくサイクルのなんと心地いいことか。
それは山でもゆったりとした自然のサイクルが同じように存在しているのでしょう。


そんな色んなモノが落ちている自然海岸を、皆さんもゆっくり観察してみませんか?
きっと素敵な発見や、思いもよらぬ思索にふけることができるかもしれませんよ!

2013年7月27日土曜日

トマト通信

ひまわりと一緒に植えたトマトも着々と成長しています.。
毎朝、起き抜けに水やりしにいくのがすっかり日課になりました。


こちらは店舗横の植え込みです。
ここのほうが土は肥えていそうですが、どうでしょうか。

写真に散乱している白いのは卵の殻です。家庭菜園の最低限の肥料でしょう。
もっと知恵をつけなければいけませんね。

そういえば友人が「コンパニオン・プランツ」の話をしていたことがありました。
日本語では「共栄作物」といいます。近くに植えることでいい感じにお互いにいい影響を与え合うとか。

トマトのコンパニオン・プランツとされているのはバジルです。
なんだかそれだけでおいしそうなパスタが作れそうですね。


今年はタイミングを逃してしまいましたが、来年はいろいろを試してみたいものです。

2013年7月24日水曜日

ひまわり通信 2

ついにひまわりの花が咲きました!



ちょっと元気がなくなってしまい心配していましたが、なんとか開花してくれました。
なぜか真上を向いていますがまあいいでしょう。



もう一株もあとひと息、というところです。

土が悪かったのか水やりが少なかったのか、大きくなればなるほど葉は萎れ茎は伸びず、日に日に元気がなくなっていくひまわりを見ているのは辛いものです。

もし何かひまわりが元気になる知恵をお持ちの方がいらっしゃればご教授願います!


ひまわりはフランス語で「トゥルヌソル」と言います。
直訳はまさに向日葵(太陽に向く)です。
サニーコーストカヤックスという屋号で商売を始めてからというもの、どうも太陽やそれに類する単語に敏感になってます(笑)。

ひまわりのように真っ直ぐに、天に向かって逞しく、美しく在りたいものですね!

2013年7月19日金曜日

南伊勢町の取り組み ~ 防災マップ ~

先日完成した防災マップ作りをご紹介します。

6月に南伊勢町の役場で行われた「観光防災セミナー」で知った「防災マップ」の取り組み。
それは宿泊施設を対象にした、宿泊客の皆さんを安全に避難させるためのガイドラインでしたが、それをもっと拡大していこうという機運がすでにあり、僕もぜひそうした取り組みに積極的に参画していきたいと思ったものでした。

そして後日、南伊勢町観光協会の会員の皆さんで構成する「観光防災ワーキンググループ検討会」に参加させていただいた時に、観光協会の事務局の方々と話をさせていただき、我がサニーコーストカヤックスのための防災マップを作ろう!ということになったのでした。

某月吉日。快晴。
事務局の若人二人とともに、実際にサニーコーストカヤックスのベースから津波一次避難場所まで歩いてみました。


防災マップを作るという大切な使命がありますが、気分はちょっとしたお散歩です。
それでもちゃんと用意した地図などの資料を確認し、要所要所で写真も撮りながら歩いていきます。


サニーコーストカヤックスのベースは海からも近いですが五ヶ所川という川のすぐ横でもあります。
また、五ヶ所湾はリアス式海岸なのでけっこう海の近くまで山が迫っています。
そして避難場所は山のほうにあります。

つまり、海を背にして川伝いに山の方へ行けば避難場所へと向かうことになります。


と、見えてきました。
このオレンジ色の看板が避難所を指示しています。

サニーコーストカヤックスのベースから一番近い津波一時避難場所は「五ヶ所保育園」です。

川沿いにあるこの看板は五ヶ所神社に建てられています。
そこを境内の中へといくと、向かって左手、社殿と社務所の間に屋根付きの歩道のような坂道があり、そこを上って行くと今度は白い壁の体育館に辿りつきます。
さらにその左手に上へと上がっていける小道が続き、そこを抜けると目指す五ヶ所保育園が見えてきます。


この五ヶ所保育園で海抜20mです。
ここからさらに山の高いほうへと逃げることもでき、二次避難場所もあります。

時間にして徒歩10分足らず。
おしゃべりしながら写真も撮りつつでしたので、実際はもっと早くたどり着けると思います。

そして、、、こちらが完成した防災マップです!


防災マップはフルカラーで、詳細な住宅地図とルートが書き込まれています。
それだけではなく、ポイントとなる箇所には番号を振り、それに合わせて写真も添えてあり、とてもわかりやすい仕上がりになっていました。
観光協会事務局の皆さん、ありがとうございました!

南伊勢町のマスコットキャラクター「たいみーちゃん」もキュートなサニーコーストカヤックスの防災マップはスクール、ツアーにご参加いただく際、皆さんに見ていただいています。
そして僕は「遠くではなく、高いところへ逃げてください」とも言います。
今年の三月に訪ねた気仙沼の小泉仮設住宅の近くに建てられた津波記憶石の碑文が蘇ります。


学んだことは「地震があったら津波が来る」
とにかく上へ上へと逃げること
「てんでんこに逃げよ」
その教えを伝えたい

(原文まま、碑文より抜粋)


そこで、僕はある企画ツアーを考えました。
その名も「防災の日スペシャルツアー」です。
詳細はホームページをご覧ください。

皆さんとご一緒に、シーカヤックの防災について本気で考えていきたいと想っています!
どうぞご協力のほど、よろしくお願いします。


9月1日 防災の日スペシャルツアー
詳しくはこちら!

2013年7月11日木曜日

和歌山県・友ヶ島ツーリング 3

気持ちのいい風の吹く中、沖ノ島の西端を回り込み、島の北側を漕ぎ進んでいきました。

淡路島との海峡・由良瀬戸は広く、エディ(反転流)もあり難なく通り抜けることができました。
しばらくはレンガの構造物が崩れたりしている独特の景観を横目に平和に進めましたが、神島との間には速い流れがあり、ちょっと頑張らないと押し戻されそうな感じもしました。


そして、、、またまたやって来ました。地島との海峡です。
中ノ瀬戸。
(客注:厳密には虎島と地島との海峡になりますが、虎島は沖ノ島との陸繋島になるので、まあ大まかには沖ノ島と地島との海峡を中ノ瀬戸と呼んでいるようです)

この時、潮は北から南へと流れ、海峡の幅いっぱいに波が屹立していました。
まるで海岸線のように。きれいに。並んで。
怖~と遠目に眺め、北寄りに大回りして海峡を渡ろうということになりましたが、なにやら数名、歓声を上げていらっしゃいます。
楽しそ~、とか、ええなあ、とか。

僕にはソコは地獄門にしか見えないので、しっかり大回りをし始めましたがけっこう流されます。
いえ、グングン海峡へと吸い込まれていきます。
慌ててもっと北寄りへと舳先を向けて何とか漕ぎ渡り後ろを振り返ると、後ろにいたはずの半分くらいのメンバーが見えません。

よく見ると海峡の波間にちらちらと覗いていました。
もちろん皆さん確信犯です。行きたくて、でも渡り始めて、そしたらけっこう流されて、しょうがないなあもう、みたいな感じで海峡へと侵入して行ったようでした。

あの波を超えていくのもそれなりに度胸が要るでしょうに、問題はそこを遡って北側、上流側へと戻ってくることです。
拙い文章や写真ではお伝えできないので、こちらをどうぞ。


すごいパワーのある潮流を、タイミングとボートコントロールとパドリングで漕ぎ上がる姿は、もう鮎や鯉というよりも竜の領域です。
僕はびびってしまって突っ込むこともできませんでした。もっともっと精進しなければいけませんね。

最後の海峡も無事に渡り、加太の海水浴場に戻ってきたのは午後2時ころでした。


楽しく激しい旅の終わりの余韻を惜しむような、ツーリングの後の片付けにはどこか虚しさが漂います。それもまた旅情かもしれません。

この後、みんなで湯浅へ移動してアイランドストリーム平田さんのベースを訪ね、温泉へ行きさっぱりすると、もう気持ちは伊勢の海へと向かい始めていました。
さあ帰ろう、そしてまた来よう、と。

紀伊半島は魅力的なフィールドがたくさんあるんだとあらためて知ることができたツーリングでした。
企画された野川さん他、ご一緒してくださった皆さん、本当にありがとうございました!


了。



和歌山県・友ヶ島ツーリング 1 へ


和歌山県・友ヶ島ツーリング 2 へ

2013年7月10日水曜日

和歌山県・友ヶ島ツーリング 2

短い時間ながらも充実したパドリングを終えたどり着いた沖ノ島。
浜から上がるとそこには芝生のテントサイトが広がっていました。


海岸の浜も細かい砂利でとても居心地・寝心地もよさそうでしたが、芝生の誘惑には勝てません。
一昨日前にはゴロタ浜で平気そうに振る舞っていたシーカヤックガイドの皆さんも、なんだかそわそわしながら「いいね」などとつぶやきつつテントを張り始めたのでした。

この晩はみんなで餃子を作りました。(写真がなくてスミマセン・・・)
野菜たっぷりな具を作り、皮に包んで焼いていきます。レインドッグでは年末キャンプの恒例だとか。そしてなぜかスクープアウト堀川さんが餃子作りに造詣が深いようで、あれこれと指示をしてくれました。

焼き作業は途中から僕が担当をさせてもらいました。
ラーメン屋バイト歴3年というのを買われましたが、3年間注文聞きと皿洗い中心だったので餃子を焼いたのは数えるほどでしたが、門前の小僧ならぬ入道かはたまた大仏か、なんとかうまく焼き上げることができました。
300個くらい焼き、最後には完食!

僕はその前に睡眠不足と満腹で一足先に寝袋に潜り込んでいましたがね(笑)。


翌朝、午前中は沖ノ島をちょっと歩こうということになりました。

まずは灯台へ。
沖ノ島の西の端に立つ沖ノ島灯台。昨夜も明るく夜の海峡を照らしていました。
何度も、あちこちで灯台を見上げていますが、いつも浪漫を掻き立てられるのは僕だけでしょうか?


そこから岬の先端へと続く道をゆるく下ってゆくと、友ヶ島水道を挟んですぐ向こうに淡路島が横たわっていました。
ここも流れはとても早そうで、行き交う本船も多く、遠くて近い淡路島でした。


一度テントサイトに戻って今度は東側へと歩いていきます。
海軍の聴音所の廃墟や展望台。道中、山の中なのになぜかカメと遭遇。存在そのものにもびっくりしまっしたが、カメらしからぬ素早い動きにも二度びっくりさせられました。


ちなみに、島内に残る軍事施設跡はほとんどが陸軍所属のものですが、この聴音所だけは海軍所属だったとか。
レンガ造りの他の建物、建造物に比べるとこの聴音所はその使用目的に合わせて隠密性が高く、質素な感じを受けました。


さて、このカメは何カメですかね?僕はもちろん知りません。


沖ノ島は東西に3キロ足らずもある島です。一周するとたっぷり一日掛かるとか。
上の写真左に浮かんでいるのが神島。
右手から伸びている尾根のすぐ向こうに見えるのが虎島で、その奥に霞んでいるのが地島です。


ここは陸軍の施設跡でしょうか。
まるでワインセラーかウィスキー蒸留所のようです。

こうして2時間ほどお散歩し、お昼ご飯を食べてから島を出発したのでした。


また、潮流に翻弄されるパドリングの始まりです。


続く。。。

和歌山県・友ヶ島ツーリング 1 へ


和歌山県・友ヶ島ツーリング 3 へ

2013年7月4日木曜日

和歌山県・友ヶ島ツーリング 1

6月24日、カヤック・ジャンボリーも無事に終わった翌日に、カヤックガイドの人たちばっかり11人で和歌山と淡路島の間に浮かぶ友ヶ島へ漕ぎに行ってきました。


天気は快晴。移動やら買い出しやらで出艇は昼を回ってしまいました。
折しも大潮の干潮。加太の海岸は潮が引きカヤックを運ぶのも大変でしたが、本当の「大変さ」は海にありました。

友ヶ島が浮かぶ友ヶ島水道は、大阪湾と太平洋を結ぶ狭い海峡だからです。

友ヶ島という呼称は一つの島を指しているのではなく、地島と沖ノ島という大きな二つの島と、神島、虎島の小さな二島を合わせた総称です。
古くは修験道の修行の地とされ、今なおその心得(?)を彫り記した岸壁がありました。
それが幕末、ペリー来航以来は太平洋から大阪湾へ通じる海上交通の要所とされ、砲台なども備えた要塞が築かれました。
戦後、軍事施設はそのまま放置され、現在も当時の面影そのままに残されています。

というのはシーカヤックを漕いでいる時にはあまり関係ありません。
問題なのは潮流でした。
速いんです、これが。


こちらの写真はありがちなアングルですが、実は結構流されています。
この時、潮は北から南へ、つまり大阪湾から太平洋の方へと流れ出ていました。そして僕らはそこをすこし遡って和歌山側から地島へと渡ろうとしていたのですが、しっかり流れているのでまるで川のようにエディができ、この写真の時は若干後ろから押されている感じでした。
そしてすぐ左手にはエディライン・潮目があり、その向こうには目で見てわかる速さで流れていました。
しかもそこを船も通ります。
大型の船が通る本船航路は淡路島寄りの海峡なのでタンカーのような船は通りませんでしたが、それでも十分に大きな貨物船などが頻繁に通っていて、渡るタイミングを待たなければなりません。

そして渡り始めると、、、速い速い。
ほんの1km先の地島の、手前の岬の山とその奥の山の重なりがグングンずれていきます。
自分の意思・感覚とは無関係に、無遠慮に動く遠くの景色を見つめ続けるのはけっこう気持ち悪くなります。
やっと渡り切ったと思ったらまた潮目です。
海面がバシャバシャもやもやしていてどうこがどう流れているのか分かりにくく、僕はさっさと漕ぎ抜けることにしたのですが、普通に漕いでいた人たちはまるでスローモーションになったようにその場に絡め捕れたりしていました。

それでもまあ皆さん無事に横断終了。さすがです。

そのまま地島の南岸を漕ぎ進むと、今度は沖ノ島との海峡です。
当然こちらも速いです。
むしろこっちのほうが速いようでした。
さらに、ここにはたくさんの遊漁船が潮流を遡り、また流されしながらたむろっていました。

とりあえず遡ります。鯉や鮎の辛さが身に沁みます。
今度は岩場の間をすり抜ける作戦です。


写真じゃあ伝わりませんね。腕の問題でしょうか。
真っ向勝負するととても大変なので、皆さん反流や波のタイミングを見計らってすり抜けていきました。
僕も負けじと頑張ります。
以前、瀬戸内のしまなみ海道で受講した研修会の成果かなんとか通過。ふぅ。

遡っておいて、またまた海峡横断です。
あまりにも遊漁船が多いので、えいやっと渡ってしまいました。
それでも船団の統制がとれるからこのメンバーはすごいですね。


やっとたどり着いた沖ノ島。と、岸壁になにやら彫られています。
先にも触れた修験道に関係したもので、「五所の額」というそうです。
そこを横目に通り過ぎ、沖ノ島の西の端、もう淡路島が目と鼻の先に見える岬の手前で上陸。


漕いだのはほんの2時間くらいでしたが、なにやら気疲れするパドリングでした。
やれやれどっこいしょと浜の上に登ると、そこには芝生のキャンプサイトがあるのでした。


続く。。。