2014年4月25日金曜日

家庭菜園通信 ~ 1 ~

昨年に引き続き、今年も家庭菜園をすることにしました。


ただ、今年はいろいろと状況も変わり、五ヶ所浦のベース&事務所にではなく自宅アパートの庭ですることにしました。
苗とプランター、土などは義理の兄からのプレゼントです(結婚祝いという名目でいただきました!ありがと~!!)。
義母が自宅で野菜や花を植えているので色々と教わり、まずは植え替えから。4月初旬のことです。


プランターの1/3ほど土を入れ、肥料も混ぜます。


そこに苗ポットから取り出した野菜の苗をポンとおき、周りに土を入れます。土はプランターの2/3くらいまで入れますが、今度は肥料は混ぜません。


土を入れたところ。
今回はミニトマト6つとシソが4つ、そしてスイートバジルが2つです。
この、ミニトマトとシソ、そしてミニトマトとバジルという組み合わせはいわゆるコンパニオンプランツといって、一緒に植えるとお互いの成長にいい影響をあたえ合って、共栄しあうとされています。

去年、友だちからコンパニオンプランツの話を聞き、来年はぜったいにやろうと思っていたので小さな夢がかなった気分です。


シソ拡大。
大きくなったら天ぷらにしようか、鳥肉に巻いて食べようか。ふふふ。


ミニトマト拡大。
実がなったら毎日たっぷり食べてあげるよ~。
ドライトマトにも挑戦してみようかな。


こうしてミニトマト&シソのペアの植え替え完了!
同じ要領でミニトマト&スイートバジルのペアも植え替えました。


植え替えをしてからは雨でない日は毎朝水をやって様子を見ています。
文字通りすくすくと大きくなっていく苗を眺めてニヤニヤしている僕は、奥さんにそんなに土いじり好きだったの?と笑われました。
当たり前です。人間は大地を離れては暮らせませんからね(byラピュタ)。笑

2014年4月19日土曜日

宮川 花見川下り

四月上旬、うちの奥さんと二人で宮川へ川下りツーリングに行ってきました。
折しも桜は満開。中流域にある宮リバー度会パークではさくら祭りを開催していました。


さくら祭りで賑わう公園の少し上流にカヤックを下します。

車を数キロ下流の横輪川との合流点に停めておくため、車二台で行って一台を置いてきます。
この時、ツーリングに持っていくものは上流へ戻る車に積んでおかなければならず、終わって着替える服などは下流に停めておく車中に置いていかなければなりません。
片道ツーリングの車回送の難しいところです。

案の定、忘れ物があったりうっかり持ってきてしまったものがあったりして下流に停めた車まで引き返す羽目になりながらも、なんとか準備を終えて川にカヤックを浮かべました。


川下りは初めてになる奥さんに軽く手ほどき。公園前の瀞場や少し上流にある外城田大橋あたりで流れを体感してもらい、いよいよ下り始めました。

宮リバー度会パークにはたくさんの桜が川沿いに植えられています。
特に華やかなのは第四駐車場から第五駐車場にかけての並木道。立派な桜の木の枝振りはまるで桜のトンネルのようです。

そんな桜並木をゆらゆらと流されながら川から見上げることができるのが花見川下りのいいところです。


ちょうどその区間にはやさしい瀬があり、春の風を切ってすーっと下っていきました。
エディに入って来し方を見返ります。
お天気は雨が降ったり止んだりする曇天でしたが、時折気まぐれに青空が覗くこともありました。


公園内の喧騒をよそに、川の上は僕らだけです。
カヤックの優越感を覚えるのはこういう時ですねえ。

公園を離れてさらに下っていきます。


奥さんは初めての川下りに大満足の様子。
川の上から眺める景色の新鮮さに見とれてしまい、ほとんど漕ごうとしません。
右にゆらゆら左にゆらゆら。

川に架かる大きな橋(南伊勢大橋)の手前に少しクセのある瀬がありますが、本流を行かずに下流に向かって右側(いわゆる右岸側)ぎりぎりのコースを無理やり通り、ちょっと流れを横切れば安全に漕ぎ抜けられます。(注:後述)

その橋を潜りながら見上げると、まだ橋梁の裏側に流木がたくさん挟まっていました。
これは2011年秋の紀伊半島に大水害をもたらした台風の名残です。

橋を越えてすぐの瀬を流れきるとしばらく瀞場が続きます。


その瀞場に「高校生の飛び込み岩」といわれている大岩があります。
写真ではサイズ感が出ませんが、ゆうに7、8メートルはあります。危ないので飛び込む時はご注意を!(やめましょうなんて禁止はしません)

もうゴールまで数百メートルという時に、にわかに雲行きが怪しくなってきたなあと思っているとカヤックのデッキにあたる雨粒がパラパラと跳ねだしました。なんとアラレです(小さいので雹じゃなかったと思います)。
風も冷たく、まるで春うららかななんて気分ではなくなります。
1分ほどで止みましたが、とんだ春の川下りになりました。

そんなこんなで車を停めてある横輪川合流まで下ってきました(ゴール時の写真がなくてスミマセン)。
お片付けを済ませ、本当は河原で食べようと作ってきたランチボックスを川端の小さな公園で広げて遅い昼食。
いろんな種類の桜が植えられた公園で、終わりかけの川津桜や、これからという感じの枝垂桜を眺めながらおにぎりを頬張るのでした。


宮リバー度会パークに戻るころにはまた青空が広がっていました。
せっかくなので桜並木の道を歩きました。
♪さくら さくら 今 咲き誇る~と鼻歌も出てきます。

天気には恵まれませんでしたが川下りツーリングもやっぱり楽しいよなあと感じた、春の宮川でした。


サニーコーストカヤックスでは現在、宮川ツーリングのプログラムはご用意しておりません。
ただ、僕自身が川下りツーリングが大好きですし、宮川は本当にいい川なので、近年中に開催できるようスキルアップと安全管理、現地調査をしていきたいと思っています。
もうしばらくお待ちくださいませ。よろしくお願いします!


(注)サニーロードの橋(南伊勢大橋)手前の瀬について。
ここの瀬は本流を行くと岩場に吸い込まれ、非常に危険ですのでご注意ください。

2011年の台風で宮川も大増水し、川底がかなり変化しました。その影響でそれ以前とは川の流れが相当変わっています。
現在、本流は左岸寄りにあります。(真ん中よりやや左寄りくらい)
この瀬は流れそのものはそれほど強くはありませんが、しっかりと水深もある本流が川の中ほどに点在する岩に当たっていて、それなりのカヤック操作ができないと岩場にカヤックが貼り付けられる可能性もあります。

橋が見えてきたら上陸してスカウティングすることをおすすめします。スカウティングの意味が良く分からない方は、必ず上陸して橋のたもとまで歩いて流れを確認しにいってください。

カヤックで下るのが難しそうだと感じたらライニングダウンまたはポーテージしましょう。ライニングダウン、ポーテージの意味が良く分からない方は、カヤックを担いで瀬の下流まで運んで再スタートしましょう。

今回の僕たちがとった右岸側ルートは水量があれば通れますが、それでも竹などの枝の張り出しには注意してください。また、水量が少ない場合は右岸側のほうが歩く距離が長くなる場合もあります。

ここの瀬の難しさは、宮川中下流域のメジャールートである田口大橋から伊勢市内の度会橋までの区間で一番かもしれません。
水量が減れば減るほど、この瀬は岩場へ吸い込まれる流れから逃げにくくなります。

川下りはとても楽しいカヤックツーリングです。
安全で楽しく遊ぶためにも、細心の注意を払って危険を避けましょう。

2014年4月16日水曜日

東北ボランティア・センチメンタル・ジャーニー ~ その4、小泉ありがとう交流会 ~

3月11日、夕方。
小泉自然楽校へ向かいます。
駐車場に車を止めて奥の大型テントのほうを見ると、煙が上がっていました。


海さんのピザ釜です。
近付くと香ばしい生地の匂いと、具材の焼けた匂いとが食欲を刺激してきました。

ピザ釜は昨日の夕方に僕もお手伝いして設置しました。耐熱レンガを組んで作ります。
構造そのものはシンプルなので、人手さえあれば1時間ほどで出来上がります。

次々に焼き上げられていくピザはロールケーキ型の白い大型テントの中へ運ばれていきます。中を覗くと地元の人たちが歓談していました。

小泉自然楽校の生徒さんたちもパスタを作ったり、おが自然学校のヨシエさんのお手伝いをして秋田名物きりたんぽを作ったりしてくれていました。

堪え切れずにピザやきりたんぽをつまみ食いさせていただき、缶ビールをプシュリ!
さあ、サニーコーストカヤックスも出動です。
持ってきたコンロを出し、買い出ししてきた食材を並べ、下ごしらえを始めました。
鋳物のタコ焼き鉄板を取り出すと子供たちが集まってきました。


わーいッ!タコ焼きだ~!!
四人の女の子に囲まれ、私がやる私もやると言ってピックを離しません。
仕方がないので火傷に気を付けてねと言って焼いてもらいました。
初めての子もいましたが、お家でやったことあるという子をお手本にしてけっこう上手にクルリとしてくれます。
そうして出来上がったのをハフハフしながら食べて大満足。
全部食べちゃダメだぞ、みんなに配ってきてねと言うと小走りにお皿を持ってテントの中へ行きました。
そんな感じで数回焼き、きりたんぽも頬張り、子供たちと地元のおばちゃんたちは暗くなる前に帰っていきました。タコ焼き焼いてくれてありがとね~。

暗くなってからは大人の部(?)開始です。
地元の議員さんも同席され、缶ビールが配られます。
小泉自然楽校代表の阿部さんからご挨拶があり、小泉ありがとう交流会二次会の始まりです。


美味しい食べ物と楽しいおしゃべり。
小泉ありがとう交流会は
「 小泉の人
 小泉中体育館避難所で暮らした人
 支えた人
 全国から集まったボランティアの皆さん
 当時を思い出しながら語り合いましょう

 生きていることに感謝して
 心おだやかに過ごしたいと思います
 よろしくおねがいいたします
 ありがとう 」
という趣旨で集まりました(ヨシエさんの原文まま)。

これは昨年、同じ日、同じ場所で約束したことでした。
その約束を果たすために、なんて堅苦しい思いは僕にはありません。それは僕の奥さんも同じです。
また来たいね、行きたいなあ、行こうよ、いつから行く?みたいに自然に行こうと決めました。

夜9時過ぎ、僕らは明日の予定があるため途中退席させてもらいました。
何人もの人たちにギュッと固く握手され、また来てねと声を掛けていただきました。
そしてテントの外に出てみると、ひまわりおじさんが待ち構えていてハグをしてくれました。
小柄なのに力強く温かいハグでした。
ひまわりおじさんは自然楽校の林にこだまするような大きな声で最後まで見送ってくれました。

さらに車に戻るとヨシエさんがいて、コレ持って帰ってネとたくさんお土産をくれました。
中でもうれしかったのはヨシエさんお手製の貝殻の根付け(キーホルダー)。いっぱいあるからと3つずつもらいました。
昨年も素敵な陶器のワイングラスをいただいたのですが、この根付けも大事に毎日使っています。

別れを惜しみつつ奥さんの運転で小泉を離れました(奥さんはお酒NGなので飲んでいません)。

そして翌日。
仙台港発名古屋行のフェリーに乗りこみました。
特別割引プランがあり、高速道路を走るよりも安上がりなのです。


船室に荷物を置き、小雨交じりの冷たい風が吹くデッキに上がりました。
津波に襲われたはずの仙台港は、一見すると元の姿に戻って活気に溢れているようでした。
汽笛が鳴り響き、出航。

少しバタバタとした旅でしたが、旅のフィナーレが船というのはなんとも贅沢な気分です。
色々と旅の思い出を二人で話しました。

来年もまた、小泉へ行きます。
でも今度はカヤックを海に浮かべて子供たちと遊びたいと思っているので、暖かい時期にしようかなあとも考えています。
その時にはまた、小泉の皆さんにお会いできるでしょうか。


ゆっくりと流れていく港内の景色を眺めながら、またねと心の中でつぶやくのでした。



東北ボランティア・センチメンタル・ジャーニー  完

2014年4月10日木曜日

東北ボランティア・センチメンタル・ジャーニー ~ その3、小泉の海岸 ~

2014年3月11日、昼。
ネットアートの架け替えが終わり、みんなで近所へご飯を食べに行った後、うちの奥さんと2人で海岸へ行きました。
震災以来、東北の浜に近付いたのは女川の御前浜以外にはありません。


気仙沼の海は空を映して青くきれいでした。
西の風が相変わらず吹いていたので砂浜に打ち寄せる波は静かで、海は穏やかな表情を見せていました。
歩いてみるとこんなサイズの貝殻がゴロゴロ転がっていていました。


大アサリかハマグリでしょうか。
普通のサイズ感ではないので良くわかりません。
もしかして放射能で、なんて考えないでもないですが、おそらく採る人が減ってしまったために巨大化したんだろうと思われます。
岩牡蠣とおぼしき殻も落ちていましたが、寒風吹きすさぶ冬の海岸でなければむくむくと食欲が湧くような大物ばかりでした。

浜はとてもきれいでした。
きれいというのはゴミがないという意味です。聞いた話だとつい先日、地元のサーファーを中心としたグループが浜掃除をしたそうです。

ところがその時、なんと人骨が出てきたというのです。詳しくは聞けませんでしたが、まだまだそうしたことがあるんだなと驚かされるとともに、未だに家族の元へ帰れていない方々の無念に思いを馳せるのでした。


波打ち際に残る建物。シンボリックな佇まいもここまで近付いてみると細かな構造まで見えてしまいます。
タイルがはげ落ちた壁。
ねじ曲げられた鉄骨。
窓から覗く室内。

3年前の今日、ここで起こった出来事は僕の想像をはるかに越え、そして多くの犠牲者を出しました。
僕にはあまりにも禍々しいその存在感。
建物はただ、波に打たれていました。


そして、午後2時過ぎ。
3年目のこの日も昨年同様に気仙沼の小泉地区に立つ津波記憶碑の前に来ました。


慰霊祭を先だって週末に行ったこともあり、また平日でしたので特別な催しはなかったのですが時間が近付いてくるとぽつりぽつりと人が集まりだしました。

午後2時46分。

防災無線から鳴り響くサイレン。
相変わらずの冷たい西の風に吹かれながら、僕には一心に黙祷を捧げることしかできません。


眼下に先ほど歩いてきた海岸と、国道45号線と、建物が一つもない更地が広がっていました。
復興はまだ、道半ばです。