2013年12月31日火曜日

~一枚の写真から綴る~ 第11次瀬戸内カヤック横断隊 参加報告8

11月21日木曜日。
快晴微風。海況も上々。
朝6時半出艇。
諦めの悪いオトナたちが明日の航程を意識して少しでも小豆島へ近付いておこうと漕ぎ始めた。

この日、リーダーを務めるのは小豆島のドリームアイランドの連河さん。昨夜リーダーを指名されてからのハイテンションのまま船団をぐいぐい引っ張っていく。


潮の動きの小さいうちに鼻栗瀬戸を通過。
しまなみ海道の数か所ある難所のうち、どこを抜けるかが瀬戸内カヤック横断隊の航程の大きなポイントの一つとなる。
転流時間やその後の針路も考慮して決めるが、一つ間違えると次の転流時間まで待たなければならなくなる時もある。実際、転流時間に間に合わず、どうしても漕ぎ上がることもできずに半日待機したこともあるという。

予定通り無事に鼻栗瀬戸を抜けることができた勢いがあったからだろうか、この日は夕方暗くなる前まで漕ぎ続け、60km弱進むことができた。

それだけではなく、久しぶりに穏やかな海を、瀬戸内らしい島並が続く優しい風景の中を漕ぐのがとても楽しい1日だった。
そしてさらに、潮流の顕著なエリアでもあり細かい針路変更やルート取りが要求され、島から島への長い海峡横断もあったりと、漕ぎ応えもある1日だった。

こういう日に限ってデジカメでの写真は少なく、休憩時にフェイスブックにアップした携帯で撮った写真ばかりだったりするものだ。


写真は鼻栗瀬戸に架かる大橋の手前にて。
難所の前でこうして写真を撮る余裕があったことがうれしい1枚である。


航海ログ
11月21日
06:00 ブリーフィング
06:30 大三島南岸 出発
07:30 鼻栗瀬戸 通過
08:00 伯方島北西岸 到着
08:55 岩城島南端 通過
09:30 赤穂根島北岸 到着
10:10 弓削島西岸 通過
10:35 弓削島北西岸の神社 休憩
12:20 横島 横山ビーチ 上陸休憩
13:25 出発
14:30 アブト観音 通過
16:45 走島南東岸 到着 終了

2013年12月27日金曜日

~一枚の写真から綴る~ 第11次瀬戸内カヤック横断隊 参加報告7

11月20日水曜日。
午後4時、NHKラジオ第二放送にチューニングを合わせる。
気象通報を聞き取り、天気図用紙に各地の天気、風向風速、そして気圧を記入していく。


手慣れた調子で次々書き込んでいるのはモンベルに勤める岩野さん。
今年行ってきた知床シーカヤックシンポジウムで新谷さんにお会いして色々と刺激をいただいてきたそうだ。
気象通報から天気図を聞き取り、現実的に実用的に使っているシーカヤックガイドは新谷さんしか僕は知らない。理由は知床半島では携帯電話が使えないからだ。

岩野さんは先日、スマートフォンを辞めていわゆるガラケーに戻してしまった。もちろんガラケーでもネットを介して天気予報も天気図も見ることはできるが電池の消耗が激しい。
横断隊のような7日間漕ぐ旅の場合、電源の予備の確保は重要だ。
しかし岩野さんの場合それが気にならなくなった。ガラケーはたまにオンにするだけ。そして天気予報はラジオから得る。ラジオはすこぶる燃費が良い。
荷物が少なくなった~、と喜んでいた。

僕らはスマホという高度に便利な道具を使い、詳細なデータをネットから得る。
そのために予備の電池をたくさん用意する。僕はソーラーバッテリーチャージャーを前回から持っていくようになった。
便利だ便利だと喜びながら、道具が増えていく。荷物が重くなる。お金も掛かる。

ラジオと天気図用紙とエンピツさえあれば天気図を書き起こし、自分で天気を予測することもできることを忘れていた。お恥ずかしい。
道具はシンプルなほうがいい。
そうすると旅はもっと楽しくなる。
学生時代には当たり前だったことを思い出し、ちょっと懐かしむ。

出来た!と岩野さんが言う。
昼過ぎにスマホで確認した天気図が用紙の上に再現されていた。


大三島南岸のよくお世話になる浜辺で空を見上げる。雲の動きは未だに速い。
午前中の早い時間に岡村島からここまで漕いできたが、その後風が上がり動けなくなってしまい結局停滞となった。

今回の横断隊では天気を読むことがとても重要だったシーンが多かったように思う。
そしてみんなの観天望気にも非常に興味をもったものだ。
湯浅湾アイランドストリーム平田さんが上空の風は数時間後に地上に降りてくるからこの後風向きが変わるかもしれないと言う。
白石島の民宿はらだの原田さんが雲を見詰めてこりゃあ風が上がりよると言う。

天気はネットやラジオから情報を得るだけではなく、現場でもまた得られるものだと改めて思った。
砂を巻き上げて吹き抜けていく西風に吹かれながら、注意深く空を、雲を、海を見詰めた。

残りあと2日間だ。


航海ログ
11月20日
06:30 ブリーフィング
06:50 岡村島南岸 観音崎 出発
08:10 大三島南岸 到着
10:00 ミーティング 待機決定
11:30 再ミーティング 偵察へ
13:30 再々ミーティング 停滞決定

2013年12月21日土曜日

~一枚の写真から綴る~ 第11次瀬戸内カヤック横断隊 参加報告6

11月19日火曜日。
南西の風がやまない。

愛媛県岡村島南岸、観音崎。
早朝から数回ブリーフィングをし、リーダーを中心にどうするかをみんなで話し合う。
そして正午。
リーダーを務める沖縄のバジャウトリップ西表フィールドサービスの赤塚くんから停滞宣言が下された。


7日間で250km以上の航程を漕ぐ瀬戸内カヤック横断隊にとって、丸一日の停滞はゴールまで完漕する可能性を下げてしまう。
それが分かっているから赤塚くんのこの決断はとても重いものだったに違いない。
彼はこの日、いつも海と空を眺め、何度も堤防の先へ足を運んだ。

横断隊の目的は必ず完漕することではない。
完漕はあくまで7日間漕いだ結果としてもたらされるものであり、目的は毎日毎日考え、漕ぎ進むことだ。そう考えると完漕は手段と言えるかもしれない。
それでもこだわってしまうのが男の子というものだ。

最終的に停滞と決めるまで、朝7時のブリーフィングに始まり、9時半、そして12時と計三回全員で集まり話し合った。
朝は野営した浜の裏手にある観音崎へ登り、高台から海を観察もした。
行く手は白波が立ち、来島海峡を抜けてきた大型本船が上下するようなうねりもあった。
浜に戻ると目の前の海岸はサーフが渦巻き、飛沫が頬に当たった。

日が昇り浜にも太陽が照らすようになっても風は落ちない。
潮が満ちてきて、今や波飛沫はカヤックにも掛かりそうだ。
昼まで待機と決まり、僕はパドリングウェアを着替えた。

そして昼。もう30分くらい前からほぼ全員が焚火の前に集まり、最後の一言を待っているといった態だった。
リーダーの停滞宣言は口に出すまでもなくみんなが納得していた。


この昼までの時間のなんと濃密だったことか。
みんながそれぞれに色々なことを考えていたに違いない。
海を見る。
空を見上げる。
波を眺める。
風を感じる。
海図を開く。
スマホで天気予報をチェックし、天気図を読む。

後日、ある人からなんで朝一番に停滞判断をしなかったのか?と問われたが、なるほど、普段カヤックのガイドをしているとその日の予定は朝に決めてしまうものだが、横断隊ではこうして昼まで待機し考え悩みチャンスを待つというのが当たり前なような気がした。


待てば海路の日和あり。
この日はついにその好機は訪れなかったが、それもまた海旅である。
なんとしても事故だけは起こしてはならないという想いもある。

海に出ずとも横断隊で学ぶことは多いのである。


航海ログ
11月19日
6:00 ブリーフィングを7:00に延期すると伝達
7:00 すぐの出発を辞め、全員で観音崎の高台へスカウティング後、さらに待機と決定
9:30 再ブリーフィングで昼まで待機と決定
12:00 再々ブリーフィングで本日の停滞を決断
午後は各自、自由に過ごす。

2013年12月19日木曜日

~一枚の写真から綴る~ 第11次瀬戸内カヤック横断隊 参加報告5

11月18日月曜日。
三日目にして初めて日の出後の出発。
天気予報は下り坂。
午前中の早い時間に下蒲刈島へ渡らないと、身動きが取れなくなる可能性もあった。


当初、安全策として倉橋島の東岸沿いに北へ漕ぎ上がり、情島へ渡ってから様子を見て海峡横断をする作戦だった。
が、海況は思った以上に良く、目指す下蒲刈島もその先の上蒲刈島もすぐ近くのように見えていた。
その日のリーダーはその誘惑に魅かれ、補佐をしていた僕はそれでも頑なに最短距離での海峡横断をすべきだと考えていたその時、後列から村上隊長が、
「今のうちに渡っちゃおうよ」
と声が掛かった。

リーダーの決断は速く、そしてまた僕の心変わりも素早かった。
隊は一気に海峡横断を開始した。
この判断が功を奏した。

途中から追い風追い潮となりうねりはどんどん大きくなるにしたがい操船に苦心するメンバーもいたが、隊のペースは非常に速く、本格的に風が強くなる前に下蒲刈島南岸の梶ヶ浜に辿りつくことができた。
ここは堤防で囲まれ上陸もしやすく、トイレも水場もあり、この後のルート取りを話し合う十分な余裕もできた。

もし安全策だと思い込んでいた作戦通りに進んでいたら、海峡横断の途中で強風に晒され隊はバラバラにされていたかもしれない。
ふと、来し方を振り返りぞっとする。
今や海峡は白波が立ち、時折強烈なブローが海面を削るように吹き荒んでゆくのが見えた。

海旅では一瞬の判断がその後の航程の明暗を分けることがある。
海峡横断はいつも緊張の連続だ。


この日、さらなる難所が待ち構えていたが、それを全員が乗り切ることができたのはこの朝の海峡横断で消耗しなかったからだと思う。
村上隊長の観天望気に脱帽したのであった。


航海ログ
11月18日
07:00 ブリーフィング
07:20 倉橋島 亀ヶ首南岸 出発
09:00 下蒲刈島南岸 梶ヶ浜 到着
09:40 蒲刈島海峡 通過
11:05 上蒲刈島北東岸 赤石 通過
11:35 豊島 到着
12:20 三角(みかど)島 上陸休憩
13:40 出発
14:25 大崎下島北岸 到着
14:40 岡村島西岸 到着
15:00 岡村島観音崎の浜 上陸 終了

2013年12月9日月曜日

~一枚の写真から綴る~ 第11次瀬戸内カヤック横断隊 参加報告4

11月17日日曜日。
周防大島から海峡横断を繰り返し、倉橋島東岸の亀ヶ首に上陸、行動終了。
上陸してまずすることはカヤックを満潮ラインよりも高い所に運ぶことと、流木を集め焚火を熾すことだ。


焚火番長は愛媛松山のアウトドアショップ、アウトドアーズ・コンパス副店長の楠くん
薪拾い、火点け、そして缶ビールを開けるのは誰よりも早い。
海岸で焚火をすることには賛否あるが、寒い時期のカヤッキングには必須であり、そして僕たちは必要最小限の焚火しかしない。
焚火は暖をとり、料理をし、そしてみんなが集まる場となる。

この日は昼休憩で上陸した鹿老渡島の浜で思わぬ歓待を受けた。ありがたい話だ。
が、ここまでの行程はけして楽なものではなく、風も潮もきつかった。途中雨にも降られた。
そうしてたどり着いたこの浜で、火を囲んで談笑する。
この充足感。

焚火を囲んで毎晩、その日の反省会が行われた。
その日のリーダーはどうだったか。ルートは?明日はどうする?
隊長が翌日のリーダーを指名するのもこの時だ。

そして隊員たちへ意見を求める。
その日感じたことを。これからのことを。
なぜ横断隊に参加したのかを。

瀬戸内カヤック横断隊に「お客さん」はいない。
全員がリーダーとしての意識を持ち、海を読み、ルートを組み、隊のことを考える。
他人任せや他力本願では7日間は漕ぎ切れない。
漕ぐのは自分自身だからだ。
海から学び、賜る。
内田正洋初代隊長曰く、「横断隊はシーカヤックアカデミーの実践版だ」という所以である。

そんな話が焚火を見つめながら毎晩されるのだ。
夜の横断隊は、昼間海を漕いでいる時と同じくらい内容が濃いのである。

この夜も煙にまかれながらも更けていくのであった。


航海ログ
11月17日
06:10 ブリーフィング
06:30 周防大島 片添ヶ浜北側の浜 出発
07:40 片島 通過
08:20 周防大島を離れる
08:55 津和地島 到着
09:35 怒和島水道 通過
10:10 怒和島北岸から鹿島へ横断開始
11:30 鹿老渡島南岸 到着 上陸休憩
地元の方々から歓待を受ける
13:05 出発
14:30 倉橋島 亀ヶ首 上陸 終了

2013年12月7日土曜日

~一枚の写真から綴る~ 第11次瀬戸内カヤック横断隊 参加報告3

11月16日土曜日。
朝4時起床。洗面と簡単な食事を済ませ、身支度を整え波止の東の端の浜へ向かう。
まだ空には星が瞬き、ヘッドライトを灯して狭い路地を抜けていく。

浜にはすでに幾筋ものヘッドライトの光線が交錯し、数名の隊員たちが出艇準備に余念がない。
低い声で挨拶を交わし、ごそごそとパッキングをする。装備のあちこちに付けられたリフレクトテープが光を反射してキラキラし、独特の緊張感が漂う。


午前6時、全体ブリーフィング。
本日のリーダー(先頭を漕ぎ、ルートを決め、隊を先導する役割。日替わりで隊長が指名します)はラフティングNEOのケンちゃんと、補佐として僕が付くことに。
今日の目的地は周防大島南岸を行けるところまで。
まずは祝島の対岸、原発工事が休止している田ノ浦へと海峡横断する。

午前6時25分、出艇。
早朝にも関わらず何人もの島の人たちに見送られ、祝島港を出る頃には東の空は濃い群青色に淡い茜色も射し始めた。

目の前に広がる鼻繰瀬戸と右手に見える鼻繰島。その奥には祝島の人たちが守り続けている田ノ浦が見える。上関町の定期船が汽笛を鳴らすのが聞こえた。
目指す周防大島は東の水平線に霞む。
途中まで伴走してくださる久坊さんの船には原さん他が乗り込みカメラを構える。

7時前、鼻繰島の上方から日が昇る。
長い1日の始まりだった。


航海ログ
11月16日
06:05 全体ブリーフィング
06:25 祝島 出発
07:15 田ノ浦 到着
08:15 蒲井 到着
09:45 上関海峡 通過
10:30 皇座山南麓 到着 上陸休憩
11:45 出発
12:20 周防大島 法師埼 到着
13:45 安下埼 通過
14:30 立島 通過
15:30 沖家室島 通過
16:45 片添ヶ浜の北側の浜 上陸 終了

2013年12月6日金曜日

~一枚の写真から綴る~ 第11次瀬戸内カヤック横断隊 参加報告2

11月15日の金曜日、瀬戸内カヤック横断隊出発の前日。
僕を含め数名が平生町の佐賀の港の端っこから7日分の食糧他装備を満載したカヤックを漕ぎ出しました。


今回のスタート地は山口県東部、柳井市の南に浮かぶ祝島という離島です。
まずはスタート地まで行くにも一苦労するのが横断隊です。
何人かがせっかくだからカヤックを漕いで祝島へ渡ろうと言い、僕もそれに乗っかったわけです。

出発した佐賀の港近くにはダイドック原さんの新居があります。
今回は怪我のため横断隊には参加できなくなった原さんが見送りにきてくれました。

この日は世間様に申し訳ないような上天気。
明日から始まる厳しい旅への期待と不安を胸に、いい大人たちは好き勝手に漕いで行きます。
寄り道。道草。回り道。
目指す祝島は遠くに見えているのでみんなやりたい放題です。
べた凪なので注意すべきは海上交通くらいなもの。それもいよいよ祝島が間近に迫る長島沖を漕ぐ頃には漁船も見当たらず、海はまるで僕らのもののようで、ゆらゆらと自由に進んでいきました。

そんなこんなでたっぷり3時間ほども掛かって祝島に着陸(到着ではなく、あえて着陸と言います)。
日は傾き、少し肌寒くなっていましたが、いつもお世話になっている島の人たちと先行していた仲間たちに迎えられ、気持ちはすぐに暖かくなりました。

夜は島の人たちのご厚意で歓待を受け、さらに僕はちゃっかり薪風呂に浸かり、宴会場を抜け出して親しい知人の家でさらに飲み食いさせていただき、寝たのは午前を回っていました。
祝島はあまりに居心地が良く、心が優しく柔らかくなり、家族のようなおもてなしを受けているとなんだかゴールしたような達成感と安堵感に包まれ、あれ?明日から出発するんだよなあという非現実感を味わってしまうのが困りものです。

宴会の途中、隊長の村上水軍商会の村上さんから明日の出発は6時半と発表。それに先立って全体ブリーフィングは6時集合。この時期、まだ薄暗い時間帯です。

いよいよ、7日間の瀬戸内の旅が始まります。

2013年12月4日水曜日

~一枚の写真から綴る~ 第11次瀬戸内カヤック横断隊 参加報告1

2013年11月16日から22日にかけて行われた第11次瀬戸内カヤック横断隊。
山口県の祝島から香川県の小豆島を目指して、7日間朝から晩まで漕ぐ。
そんな旅をしてきました。


しばらくお休みしてしまっていたブログですが、この瀬戸内カヤック横断隊の報告から再スタートしていきたいと思います。

一日一日を一枚の写真をピックアップして回想しつつ、瀬戸内の海を東へ東へと漕ぎ続けた日々を綴っていきます。

写真は7日目、最終日の朝。
午前3時起床、5時に全体ブリーフィング。そしてまだ暗い6時前に出艇しゴールの小豆島へと漕ぎ出し、やっと日が昇った時の1枚です。

予想以上の風と波。
タイムリミットはあと1日。
ただ漕ぎ、ただ進む。

瀬戸内カヤック横断隊は、そんな海旅を経験できる場です。

次回から数回に分けて報告していきます。

2013年11月9日土曜日

トマト通信2

ご無沙汰してしまいました。筆不精をご容赦ください。

さて、半分諦めていたトマトが実を付けてくれました!


添え木もせずに放置していたので地を這うような枝振りですが、いやはや逞しく実ってくれました。


実は全部で10個ほどでしょうか。
小振りながら(ミニトマトだから当たり前ですが)ポコポコと可愛らしく実のっています。


後日、しっかりと色付きました。
さっそく食べてみると酸味よりも甘味が勝っていて、とっても甘かったです!
いやあ、自分で育てたトマトは美味しいですねえ。


秋になっても実を付けずもうすっかり諦めていたのですが、それでも水やりだけは続けてきた甲斐がありました。
来年はもっと計画的に栽培して、自家菜園を楽しみたいと思います。


土いじりって楽しいなあとしみじみ感じた、晩秋の収穫でした。

2013年10月19日土曜日

のり網のある風景

あおさのりの養殖が始まりました。


浅瀬に杭を何本も打ち込み、そこに網を掛けてあおさのりを育てます。
あおさのりは南伊勢の特産品の一つに挙げられます。


杭を打ち込むのが九月に入ってから。その後、網を掛けて種付けをしていきます。
黒海苔は人為的に種付けをするようですが、あおさのり(青海苔)は自然に種付けをしているようです。川の河口近くなどに網を掛け、種付けをします。

近所のおばちゃんに聞いた話では、五ヶ所の漁師は志摩へ、志摩の漁師は五ヶ所で種付けをして、それから自分たちの所で改めて網を張るそうです。
理由は分からんが昔からそうやねえ、と言っていました。


種付けが済むと網を広げていきます。
こうして一冬、山や川からの栄養分をたっぷりもらってあおさが成長していくのです。


赤だしにあおさのお味噌汁。これが伊勢志摩の朝餉のおもてなしです。

2013年10月9日水曜日

秋、深まりて

サニーコーストカヤックスのベースの駐車場の傍らに、柿の木が一本立っています。


今年の伊勢志摩は、心なしか柿の実が生るのが早かったように感じます。
この柿も九月中旬には生りはじめていたように記憶しています。

この柿の木、背丈は僕の肩くらいしかありません。
そして実も一つだけです。
根元にはシートを被せて雑草除けを施し、それなりに家人(たぶん大家さん)の手厚い保護が見て取れますが、なんとも小ぶりな、可愛らしい柿の木です。


そんな小さな柿の木でも、橙よりも色濃く、朱までは染まらず、熟していきます。
秋空に映える柿の実もまた、この季節の風物詩でしょう。

伊勢志摩で柿といえば蓮台寺柿が有名です。
渋柿なので渋抜きが必要ですが、非常に糖度が高く、干し柿にした「ひなたやけ」は伊勢の人々のちょっと贅沢な秋のおもてなしです。


この実り多い季節に、伊勢神宮のご遷宮(遷御の儀)が内宮、外宮ともに執り行われました。
はたして柿がお供えされたかどうかは知りませんが、お参りに来られた多くの方々や神宮さんの関係者の皆さまの口にはきっと供されたのではないでしょうか。


秋が深まっていくのがまざまざと感じられる、南伊勢の空です。

2013年9月29日日曜日

アンドンクラゲ

苦手な方、ごめんなさい。
今回はクラゲシリーズ二回目、アンドンクラゲです。

(左手、白いのはカヤックのハルです)

アンドンクラゲは刺すクラゲです。毒もあります。
お盆過ぎに海水浴場でクラゲに刺された、という話を聞くことがあると思いますが、このアンドンクラゲこそが犯人です。

アンドンクラゲの傘(本体)は親指の先くらいのサイズでほぼ透明です。
そこから四本触手が伸びています。長さは20cmに達するものもあります。
傘が透明なので、波間ではまず発見できません。泳いでいて刺される所以です。
カヤックから写真を撮るのも相当凪いでいないとできないくらいです。


別名電気クラゲと言われるように、刺されるとチクッときます。
けして楽しい相手ではありません。
刺すのはニョロニョロと長い四本の触手です。
刺されるとミミズ腫れになることが多く、かゆみも後に引きます。


刺された時の被害としては、ビクッ!!とする痛みと、ミミズ腫れの傷跡と、蚊よりもしつこいかゆみです。
イメージとしてはアブやブヨくらいでしょうか。
ただ、個人差があるので一概には言い切れません。


アンドンクラゲは他のクラゲに比べて泳ぎが得意だそうです。
つまり動き回っています。迷惑なヤツラですね。
理由は知りませんが息継ぎをするかのように水面に傘(本体)を出すような動きもするので、カヤックを漕いでいてもパドルですくい上げてしまい落ちてきたヤツに刺される、なんてこともあり得ます。

ただ、被害者はもっぱら遊泳者です。
カヤックならこうして写真を撮る余裕もあります。ふふん。

アンドンクラゲは慣れないと見付けにくく、油断していると刺されてイヤな思いをします。
姿形を覚えて、発見できるようになれば泳ぐ場所を選ぶこともできるでしょう。

最後に。


タコクラゲ。
いやあ、なんて平和なクラゲでしょうかねえ。
だんだんコイツが可愛く思えてきました(笑)。

2013年9月19日木曜日

ひまわり通信 4

台風一過、実は被害がありました。
カヤックラックの横に植えていたひまわりの首がなくなっていました・・・。


強風に耐えきれずもげてしまったのかと思い周囲を探しましたが見付からず、悲しい気持ちになっているところに大家さんが声を掛けてくれました。

ほれ、と出されたのはひまわりでした。
台風で飛ばされてしまうだろうからと、僕の留守の間に首だけ採っておいてくれたのでした。


いやはや、感謝の言葉もありません。
不注意な店子のひまわりの面倒まで見てくれるなんて、うれしいですねえ。
これからも「山善ライスセンター」の看板は外しませんよ~(笑)。

手渡されたひまわりは二つともカラカラに乾燥し、もういつでも種が採れそうな具合です。
いよいよ、種の採集です。

2013年9月16日月曜日

台風にご用心!

台風18号が本州を縦断していっています。
こんな時の、カヤック屋さんの影の苦労話?です。


カヤック屋さんにとってカヤックは大事な商売道具です。壊れたり失くしたりしたら大変です。悲しいです。悔しいです。
そこで、台風が来るとなるとカヤックをしっかりと固定します。

僕の場合はロープを使います。車に載せる時と同じようにぎゅうと締めます。これで折れて壊れない限りは飛びません。


本当は前後一本ずつのロープではなくて数本のロープを使った方がより安全なのでしょうが、超大型台風でもなければまあ大丈夫でしょう、たぶん。


そしてさらにチェーンも通します。これは普段は盗難防止用のチェーンですが、万が一ロープがどうにかなった場合の最後の砦です。

こうしてしっかりと大事な財産であるカヤックをカヤックラックに固定するのですが、これだけでは安心できません。カヤックラックごと転がる危険もあるからです。
そこで最初の写真のようにラックそのものから四方でロープを取り、確保してあります。地面には50cmくらいの杭を打ち込んであります。

これで安心です。
今回も前回も、この方法でしっかりと養生し、そしてちゃんと耐えてくれました。


ただ、相手は自然です。
何が起こるか分かりませんし、人智などあっさり超えることもあるでしょう。
どれだけ備えても足りることはない、くらいに考えるのが相応というものです。

想定外、などという言い訳は結局は後の祭りです。(昨今では政府や大企業が連呼してますが)
安心しきらずにいつも気に掛けることが本当に大切なことなのではないでしょうか。

はてさて、今年はあと何回この作業をすることになるのやら・・・。

2013年9月8日日曜日

南伊勢町防災訓練 スペシャルツアー報告

9月1日、防災の日。
南伊勢町では毎年防災訓練が実施されていますが、今回は特に海辺での防災と観光客の安全確保という新しい要素が加えられた訓練となりました。

この日に向け、僕は「防災の日スペシャルツアー」として防災訓練に参加していただけるお客さまを募集しましたが、残念ながら集客に至りませんでした。
自分の思いを多くの皆さんへお伝えする難しさを痛感するとともに、それでもやらなければならない使命感も湧き、今回は僕のフィアンセに参加してもらうことにしました。

そうして迎えた当日。
朝8時50分ころにいつもカヤックを出艇している五ヶ所川の河口の浜へ行きました。


曇天微風の蒸し暑い海岸に着くと、カーン、カーンと金属音が響いていました。アオサ海苔の養殖の準備をする漁師さんが、網を張る杭を干潟に打ち込む音です。
夏の終わりから準備を始め、秋から種付けをし、そして冬に育ち、春先に収穫するアオサ海苔。
金属の杭を打ち込むのはすべて手作業です。大変な重労働だなあと眺めていると、町内放送が掛かり防災訓練の始まりを告げました。

午前9時、サイレンが五ヶ所浦に響き渡りました。

サイレンは海岸にいても良く聞こえ、津々浦々まで響いているだろうなと思わせました。
避難せよという指示を聞いてから移動開始。


潮が引いていたので防潮扉横の鉄製の階段を使わず、「1」と大きく書かれたコンクリートの階段から避難しました。

避難の際、ライフジャケットは脱がせずツアーの際に持ってきてもらうようお願いしている飲み物も一緒に持って移動しました。
ライフジャケットは万が一の際の大切な浮力体になりますし、防寒、耐衝撃、そして座布団、敷物にもなりえます。

僕はというと同じようにライフジャケットを着たまま飲み物を持ち、さらにいつも携帯している5Lサイズの防水バッグも持っていきました。
この防水バッグの中には携帯電話、ファーストエイドキット、フラッシュライト、エマージェンシーブランケットなどをまとめて入れています。

サイレンに合わせて町の人たちも避難を始めていました。
白いヘルメットを被り、「防災用品」と書かれたナップザックを背負っていく人たちが多く、町の人たちの防災訓練に対する真剣さが伝わってきました。

国道260号線を渡り、五ヶ所神社の境内を抜けて高台にある津波一次避難場所の五ヶ所保育園に着いたのは午前9時10分。
すでに多くの方々が避難し集まってきていました。


五ヶ所川河口の浜から避難に要した時間は10分ほどでした。
慌てずに歩いたので、実際はもう少し早く着くでしょう。

続々と集まってくる町の人たちは地区ごとに点呼を取り、人数の確認などをしていました。
午前9時半、訓練終了と解散の案内がされました。


その後も保育園の園内で消防団による訓練が行われましたが、僕らはそれには参加せずに帰ることにしました。

帰路、坂道を下って川沿いの道へ降りながら僕は、東北の津波の爪痕を思い出していました。この坂のどこまで津波は襲ってくるのだろうかと想像すると、避難訓練の大切さがしみじみと感じられました。



今回初めて参加させていただいた南伊勢町の防災訓練でしたが、色々と考えさせられるいい機会でした。

まずは町の人たちの関心の高さと真剣さに感激しました。この関心の高さは非常時に必ずいい結果につながると思いました。
また、実際浜辺から避難場所まで自分以外の人と一緒に行動するというのも、一人とは違い気を遣うものだということが分かり、いい経験になりました。

反省点・課題としては、水、食料の確保です。
カヤックのスクール、ツアーに参加されるお客さまと自分の食料をどうするのか?それは防災訓練にも非常食を背負って避難していた町の人たちを見て気付かされました。
また、漕いでいる途中でサイレンが鳴った場合の避難場所の確認も忘れてはいけません。ツアーでよく通るルート、休憩に上陸する浜から最も近い避難場所をチェックし、頭の中に叩き込むだけではなくマニュアル化して自分自身にとっても整理し分かりやすくしておくことが必要ではないかと思いました。

防災訓練は年に1回決まった日時に行います。ですが本当の災害はいつ来るかわかりません。
そして容赦なく人も町も襲います。
備えはヒトとモノとアタマでしなければなりません。
課題はまだまだありますが、そうした問題点が見えてきた防災訓練だったと思います。
この経験を活かして万が一の災害時にもお客さまの安全確保に努めていきたいと考えています。

来年も防災訓練には参加させていただこうと思っています。
今回情報をご提供いただき、ご協力してくださった南伊勢町役場の防災課の方々、そして南伊勢町観光協会に感謝いたします。


追記:この日の夜、映画「風立ちぬ」を鑑賞しました。
この映画には関東大震災に遭うシーンがあり、くしくも9月1日に観るという偶然に心が震えました。
映画の主人公のように僕は無償の行動を執ることができるだろうか自問させられ、より深く感銘を受けたのでした。

2013年8月31日土曜日

ひまわり通信 3

いよいよ花も終わり、種ができてきました。


実るほど頭を垂れる何とやら。
重そうに傾げているさまはちょっとさみしそうにも写りますが、それは来年へと繋ぐ種を育んでいるからと思うと、命のバトンを渡す大切な時なのだなあと感じることができます。

小さいほうの株も花は散ってしまい、種を付け始めています。


小ぶりな方でソフトボールくらいの大きさ、大きい方はバスケットボールくらいです。
5mに伸びたというひまわりの種でしたが、僕のところでは親の遺伝子が発現しなかったのか、はたまた風土が合わなかったのか。

もうすぐ種を採集し、来年の種まきの時期まで大事にとっておこうと思っています。
すっかり秋の気配の濃くなってきた五ヶ所湾の太陽をいっぱい浴びて、大きな種をたくさん付けてくれるといいですね。

2013年8月22日木曜日

ルリスズメ

今回は可愛いのを紹介しましょう。
瑠璃色の宝石、ルリスズメダイです。


小指ほどの大きさで、鮮やかなコバルトブルーの体が特徴です。たまに尾だけ黄色っぽいのもいます。
たいがい群れで生息してますね。場所は岩場などの比較的浅いところです。
よほどパドルでかき回したりしない限りは逃げもせずに悠々と泳いでいます。


波が穏やかであればカヤックに乗ったままでも観察できます。


調べてみると、ルリスズメダイは国内では沖縄のサンゴ礁にしかおらず、本州に生息している青い魚はルリスズメダイではなく良く似た「ソラスズメダイ」である、とされていますが、僕にはWEB上の写真などを見る限りでは差がよくわかりません。

まあ、どちらも綺麗だからいいじゃあありませんか!笑


水温の高い時期に良く見かけるルリスズメ。
8月ももう後半ですが、海は10月くらいまでまだまだ暖かいです。

海の宝石・真珠の海で、瑠璃色の宝魚を探してみませんか?

2013年8月15日木曜日

タコクラゲ

今年も出て参りました。
そう、タコクラゲです。(※ クラゲが苦手な方、ごめんなさい!)


タコクラゲは水温が高くなると出てくるようで、ミズクラゲやアンドンクラゲよりも後に登場するイメージがあります。
タコないしインベーダーのような容姿が特徴で、静かな入り江に生息し、無毒です。


その独特の姿を好む愛好家もいるそうで、観賞用にペット化もしているとか。
買う人がいるということは売れるのかな?なんて考えてしまうシーカヤックガイドはいけませんね(笑)。


タコクラゲはたいがい群れています。
すごい所ではパドルを入れるのを躊躇うほど密集していた入り江もありました。
五ヶ所湾でです。さすがにそうなるとシーカヤックに乗って観賞するという雰囲気ではなく、囲まれている感が強かったですね、、、。


こちらはまだ小さいタコクラゲ。(※ 見やすくするために極端なエフェクトをしています)
これで小指の先くらいです。こんなサイズだったら飼ってもいいかな、なんて思えます。

が。実際には先頭の写真のように大きくなります。
あれで傘の直径10cmほど。体長は20cmを軽く超えます。
僕はその1.5倍は大きいのを何度も目撃しているので、気軽にお家で飼うなんてことは考えられません~。


海には実に様々な生き物たちが暮らしています。
シーカヤックに乗って見付ける海の生き物たちとの遭遇もまた、シーカヤックの醍醐味の一つですね。

2013年8月10日土曜日

空調システム導入しました

ゲストルームは西日が入り暑くなるので、よしず(葦簀)を掛けました。
お洒落なサンシェードなども昨今は安価で購入できますが、やっぱりこれでしょう。天然素材に敵うものなし、ですね。


店先にお飾りしてあるしめ縄とも相性がいいようです。
ちなみにご近所もそこら中、よしずだらけです。

室内からこんな感じです。


日差しを優しく遮り、でも外の景色はけっこう見えるのもよしずのいいところ。

そして肝心の断熱効果も抜群です。よしずは室外に立て掛けるので壁や窓との間に空気層を作り、外の熱をしっかりと遮断してくれます。
調べてみると北国では冬の寒さを防ぐのにもよしずを使うとか。
昔からの暮らしの知恵ですねえ。

よしずの材料である葦(よし)は中空構造なので、こうした優れた断熱効果が得られるのでしょう。
ペラペラなブラインドや布ではこうはいきません。
海ではゴアテックスのレインウェアよりも、漁師ガッパのほうが使い勝手がいいのと似ています。

さらによしずは水をかけると涼しくなるともいいます。
素晴らしい、、、。

ついでに古くなったよしずは地面に敷くと下草除けになります。現在、サニーコーストカヤックスのカヤックラックの下で活躍中&土に還りつつあります。


そんなこんなでエアコン要らずの我がゲストルーム
ツアーの後はゆっくりとおくつろぎくださいな~。

2013年8月3日土曜日

花火

大阪、富田林のPL教団による花火大会を見に行ってきました。


言葉は要りませんね。
動画をどーぞ!


僕はこんなに近くで、こんなに多くの打ち上げ花火を見たのは生まれて初めてでした。

閃光、優美に花開き、そして轟音と衝撃、やがて昇華し舞い落ちる。
王道にして本道。奇をてらわない、直球勝負。

また見に来たいものです。

2013年7月30日火曜日

浜で発見!

先日、古和浦のツアーで上陸した薄月の浜で見付けました。


ウミガメでしょう、きっと(確信ないですが、それ以外にはカリ城の影の軍団の仮面しか思い付きません笑)。

サイズは手のひらに余るくらいでしたので、おそらく大人だったのではないでしょうか。天寿を全うして往生したことを願うばかりです。

こういう自然の落し物がけっこう浜にはあるものです。もちろん海水浴場ではない、自然海岸でです。
今までに僕は鹿やイルカなどの大型哺乳類の骨から、小さなものではウニの殻やサンゴの欠片なども見付けてきました。三重県の海岸線での話です。


こちらの写真はきれいな白い砂浜、と思いきや良く見ていただくと分かるように、牡蠣殻が堆積した浜です。
少々アコヤ貝も交じっているかもしれません。五ヶ所湾では真珠養殖をしていますので、けっこうアコヤ貝のキラキラした殻も落ちています。

こうして命が終わり、海に還り、波に洗われ、浜辺に打ち上げられ、角が取れて丸みを帯び、色が抜け白くなり、そして風化し、いよいよ大地に戻ってゆくサイクルのなんと心地いいことか。
それは山でもゆったりとした自然のサイクルが同じように存在しているのでしょう。


そんな色んなモノが落ちている自然海岸を、皆さんもゆっくり観察してみませんか?
きっと素敵な発見や、思いもよらぬ思索にふけることができるかもしれませんよ!

2013年7月27日土曜日

トマト通信

ひまわりと一緒に植えたトマトも着々と成長しています.。
毎朝、起き抜けに水やりしにいくのがすっかり日課になりました。


こちらは店舗横の植え込みです。
ここのほうが土は肥えていそうですが、どうでしょうか。

写真に散乱している白いのは卵の殻です。家庭菜園の最低限の肥料でしょう。
もっと知恵をつけなければいけませんね。

そういえば友人が「コンパニオン・プランツ」の話をしていたことがありました。
日本語では「共栄作物」といいます。近くに植えることでいい感じにお互いにいい影響を与え合うとか。

トマトのコンパニオン・プランツとされているのはバジルです。
なんだかそれだけでおいしそうなパスタが作れそうですね。


今年はタイミングを逃してしまいましたが、来年はいろいろを試してみたいものです。

2013年7月24日水曜日

ひまわり通信 2

ついにひまわりの花が咲きました!



ちょっと元気がなくなってしまい心配していましたが、なんとか開花してくれました。
なぜか真上を向いていますがまあいいでしょう。



もう一株もあとひと息、というところです。

土が悪かったのか水やりが少なかったのか、大きくなればなるほど葉は萎れ茎は伸びず、日に日に元気がなくなっていくひまわりを見ているのは辛いものです。

もし何かひまわりが元気になる知恵をお持ちの方がいらっしゃればご教授願います!


ひまわりはフランス語で「トゥルヌソル」と言います。
直訳はまさに向日葵(太陽に向く)です。
サニーコーストカヤックスという屋号で商売を始めてからというもの、どうも太陽やそれに類する単語に敏感になってます(笑)。

ひまわりのように真っ直ぐに、天に向かって逞しく、美しく在りたいものですね!

2013年7月19日金曜日

南伊勢町の取り組み ~ 防災マップ ~

先日完成した防災マップ作りをご紹介します。

6月に南伊勢町の役場で行われた「観光防災セミナー」で知った「防災マップ」の取り組み。
それは宿泊施設を対象にした、宿泊客の皆さんを安全に避難させるためのガイドラインでしたが、それをもっと拡大していこうという機運がすでにあり、僕もぜひそうした取り組みに積極的に参画していきたいと思ったものでした。

そして後日、南伊勢町観光協会の会員の皆さんで構成する「観光防災ワーキンググループ検討会」に参加させていただいた時に、観光協会の事務局の方々と話をさせていただき、我がサニーコーストカヤックスのための防災マップを作ろう!ということになったのでした。

某月吉日。快晴。
事務局の若人二人とともに、実際にサニーコーストカヤックスのベースから津波一次避難場所まで歩いてみました。


防災マップを作るという大切な使命がありますが、気分はちょっとしたお散歩です。
それでもちゃんと用意した地図などの資料を確認し、要所要所で写真も撮りながら歩いていきます。


サニーコーストカヤックスのベースは海からも近いですが五ヶ所川という川のすぐ横でもあります。
また、五ヶ所湾はリアス式海岸なのでけっこう海の近くまで山が迫っています。
そして避難場所は山のほうにあります。

つまり、海を背にして川伝いに山の方へ行けば避難場所へと向かうことになります。


と、見えてきました。
このオレンジ色の看板が避難所を指示しています。

サニーコーストカヤックスのベースから一番近い津波一時避難場所は「五ヶ所保育園」です。

川沿いにあるこの看板は五ヶ所神社に建てられています。
そこを境内の中へといくと、向かって左手、社殿と社務所の間に屋根付きの歩道のような坂道があり、そこを上って行くと今度は白い壁の体育館に辿りつきます。
さらにその左手に上へと上がっていける小道が続き、そこを抜けると目指す五ヶ所保育園が見えてきます。


この五ヶ所保育園で海抜20mです。
ここからさらに山の高いほうへと逃げることもでき、二次避難場所もあります。

時間にして徒歩10分足らず。
おしゃべりしながら写真も撮りつつでしたので、実際はもっと早くたどり着けると思います。

そして、、、こちらが完成した防災マップです!


防災マップはフルカラーで、詳細な住宅地図とルートが書き込まれています。
それだけではなく、ポイントとなる箇所には番号を振り、それに合わせて写真も添えてあり、とてもわかりやすい仕上がりになっていました。
観光協会事務局の皆さん、ありがとうございました!

南伊勢町のマスコットキャラクター「たいみーちゃん」もキュートなサニーコーストカヤックスの防災マップはスクール、ツアーにご参加いただく際、皆さんに見ていただいています。
そして僕は「遠くではなく、高いところへ逃げてください」とも言います。
今年の三月に訪ねた気仙沼の小泉仮設住宅の近くに建てられた津波記憶石の碑文が蘇ります。


学んだことは「地震があったら津波が来る」
とにかく上へ上へと逃げること
「てんでんこに逃げよ」
その教えを伝えたい

(原文まま、碑文より抜粋)


そこで、僕はある企画ツアーを考えました。
その名も「防災の日スペシャルツアー」です。
詳細はホームページをご覧ください。

皆さんとご一緒に、シーカヤックの防災について本気で考えていきたいと想っています!
どうぞご協力のほど、よろしくお願いします。


9月1日 防災の日スペシャルツアー
詳しくはこちら!