2014年4月10日木曜日

東北ボランティア・センチメンタル・ジャーニー ~ その3、小泉の海岸 ~

2014年3月11日、昼。
ネットアートの架け替えが終わり、みんなで近所へご飯を食べに行った後、うちの奥さんと2人で海岸へ行きました。
震災以来、東北の浜に近付いたのは女川の御前浜以外にはありません。


気仙沼の海は空を映して青くきれいでした。
西の風が相変わらず吹いていたので砂浜に打ち寄せる波は静かで、海は穏やかな表情を見せていました。
歩いてみるとこんなサイズの貝殻がゴロゴロ転がっていていました。


大アサリかハマグリでしょうか。
普通のサイズ感ではないので良くわかりません。
もしかして放射能で、なんて考えないでもないですが、おそらく採る人が減ってしまったために巨大化したんだろうと思われます。
岩牡蠣とおぼしき殻も落ちていましたが、寒風吹きすさぶ冬の海岸でなければむくむくと食欲が湧くような大物ばかりでした。

浜はとてもきれいでした。
きれいというのはゴミがないという意味です。聞いた話だとつい先日、地元のサーファーを中心としたグループが浜掃除をしたそうです。

ところがその時、なんと人骨が出てきたというのです。詳しくは聞けませんでしたが、まだまだそうしたことがあるんだなと驚かされるとともに、未だに家族の元へ帰れていない方々の無念に思いを馳せるのでした。


波打ち際に残る建物。シンボリックな佇まいもここまで近付いてみると細かな構造まで見えてしまいます。
タイルがはげ落ちた壁。
ねじ曲げられた鉄骨。
窓から覗く室内。

3年前の今日、ここで起こった出来事は僕の想像をはるかに越え、そして多くの犠牲者を出しました。
僕にはあまりにも禍々しいその存在感。
建物はただ、波に打たれていました。


そして、午後2時過ぎ。
3年目のこの日も昨年同様に気仙沼の小泉地区に立つ津波記憶碑の前に来ました。


慰霊祭を先だって週末に行ったこともあり、また平日でしたので特別な催しはなかったのですが時間が近付いてくるとぽつりぽつりと人が集まりだしました。

午後2時46分。

防災無線から鳴り響くサイレン。
相変わらずの冷たい西の風に吹かれながら、僕には一心に黙祷を捧げることしかできません。


眼下に先ほど歩いてきた海岸と、国道45号線と、建物が一つもない更地が広がっていました。
復興はまだ、道半ばです。

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