2014年4月19日土曜日

宮川 花見川下り

四月上旬、うちの奥さんと二人で宮川へ川下りツーリングに行ってきました。
折しも桜は満開。中流域にある宮リバー度会パークではさくら祭りを開催していました。


さくら祭りで賑わう公園の少し上流にカヤックを下します。

車を数キロ下流の横輪川との合流点に停めておくため、車二台で行って一台を置いてきます。
この時、ツーリングに持っていくものは上流へ戻る車に積んでおかなければならず、終わって着替える服などは下流に停めておく車中に置いていかなければなりません。
片道ツーリングの車回送の難しいところです。

案の定、忘れ物があったりうっかり持ってきてしまったものがあったりして下流に停めた車まで引き返す羽目になりながらも、なんとか準備を終えて川にカヤックを浮かべました。


川下りは初めてになる奥さんに軽く手ほどき。公園前の瀞場や少し上流にある外城田大橋あたりで流れを体感してもらい、いよいよ下り始めました。

宮リバー度会パークにはたくさんの桜が川沿いに植えられています。
特に華やかなのは第四駐車場から第五駐車場にかけての並木道。立派な桜の木の枝振りはまるで桜のトンネルのようです。

そんな桜並木をゆらゆらと流されながら川から見上げることができるのが花見川下りのいいところです。


ちょうどその区間にはやさしい瀬があり、春の風を切ってすーっと下っていきました。
エディに入って来し方を見返ります。
お天気は雨が降ったり止んだりする曇天でしたが、時折気まぐれに青空が覗くこともありました。


公園内の喧騒をよそに、川の上は僕らだけです。
カヤックの優越感を覚えるのはこういう時ですねえ。

公園を離れてさらに下っていきます。


奥さんは初めての川下りに大満足の様子。
川の上から眺める景色の新鮮さに見とれてしまい、ほとんど漕ごうとしません。
右にゆらゆら左にゆらゆら。

川に架かる大きな橋(南伊勢大橋)の手前に少しクセのある瀬がありますが、本流を行かずに下流に向かって右側(いわゆる右岸側)ぎりぎりのコースを無理やり通り、ちょっと流れを横切れば安全に漕ぎ抜けられます。(注:後述)

その橋を潜りながら見上げると、まだ橋梁の裏側に流木がたくさん挟まっていました。
これは2011年秋の紀伊半島に大水害をもたらした台風の名残です。

橋を越えてすぐの瀬を流れきるとしばらく瀞場が続きます。


その瀞場に「高校生の飛び込み岩」といわれている大岩があります。
写真ではサイズ感が出ませんが、ゆうに7、8メートルはあります。危ないので飛び込む時はご注意を!(やめましょうなんて禁止はしません)

もうゴールまで数百メートルという時に、にわかに雲行きが怪しくなってきたなあと思っているとカヤックのデッキにあたる雨粒がパラパラと跳ねだしました。なんとアラレです(小さいので雹じゃなかったと思います)。
風も冷たく、まるで春うららかななんて気分ではなくなります。
1分ほどで止みましたが、とんだ春の川下りになりました。

そんなこんなで車を停めてある横輪川合流まで下ってきました(ゴール時の写真がなくてスミマセン)。
お片付けを済ませ、本当は河原で食べようと作ってきたランチボックスを川端の小さな公園で広げて遅い昼食。
いろんな種類の桜が植えられた公園で、終わりかけの川津桜や、これからという感じの枝垂桜を眺めながらおにぎりを頬張るのでした。


宮リバー度会パークに戻るころにはまた青空が広がっていました。
せっかくなので桜並木の道を歩きました。
♪さくら さくら 今 咲き誇る~と鼻歌も出てきます。

天気には恵まれませんでしたが川下りツーリングもやっぱり楽しいよなあと感じた、春の宮川でした。


サニーコーストカヤックスでは現在、宮川ツーリングのプログラムはご用意しておりません。
ただ、僕自身が川下りツーリングが大好きですし、宮川は本当にいい川なので、近年中に開催できるようスキルアップと安全管理、現地調査をしていきたいと思っています。
もうしばらくお待ちくださいませ。よろしくお願いします!


(注)サニーロードの橋(南伊勢大橋)手前の瀬について。
ここの瀬は本流を行くと岩場に吸い込まれ、非常に危険ですのでご注意ください。

2011年の台風で宮川も大増水し、川底がかなり変化しました。その影響でそれ以前とは川の流れが相当変わっています。
現在、本流は左岸寄りにあります。(真ん中よりやや左寄りくらい)
この瀬は流れそのものはそれほど強くはありませんが、しっかりと水深もある本流が川の中ほどに点在する岩に当たっていて、それなりのカヤック操作ができないと岩場にカヤックが貼り付けられる可能性もあります。

橋が見えてきたら上陸してスカウティングすることをおすすめします。スカウティングの意味が良く分からない方は、必ず上陸して橋のたもとまで歩いて流れを確認しにいってください。

カヤックで下るのが難しそうだと感じたらライニングダウンまたはポーテージしましょう。ライニングダウン、ポーテージの意味が良く分からない方は、カヤックを担いで瀬の下流まで運んで再スタートしましょう。

今回の僕たちがとった右岸側ルートは水量があれば通れますが、それでも竹などの枝の張り出しには注意してください。また、水量が少ない場合は右岸側のほうが歩く距離が長くなる場合もあります。

ここの瀬の難しさは、宮川中下流域のメジャールートである田口大橋から伊勢市内の度会橋までの区間で一番かもしれません。
水量が減れば減るほど、この瀬は岩場へ吸い込まれる流れから逃げにくくなります。

川下りはとても楽しいカヤックツーリングです。
安全で楽しく遊ぶためにも、細心の注意を払って危険を避けましょう。

2014年4月16日水曜日

東北ボランティア・センチメンタル・ジャーニー ~ その4、小泉ありがとう交流会 ~

3月11日、夕方。
小泉自然楽校へ向かいます。
駐車場に車を止めて奥の大型テントのほうを見ると、煙が上がっていました。


海さんのピザ釜です。
近付くと香ばしい生地の匂いと、具材の焼けた匂いとが食欲を刺激してきました。

ピザ釜は昨日の夕方に僕もお手伝いして設置しました。耐熱レンガを組んで作ります。
構造そのものはシンプルなので、人手さえあれば1時間ほどで出来上がります。

次々に焼き上げられていくピザはロールケーキ型の白い大型テントの中へ運ばれていきます。中を覗くと地元の人たちが歓談していました。

小泉自然楽校の生徒さんたちもパスタを作ったり、おが自然学校のヨシエさんのお手伝いをして秋田名物きりたんぽを作ったりしてくれていました。

堪え切れずにピザやきりたんぽをつまみ食いさせていただき、缶ビールをプシュリ!
さあ、サニーコーストカヤックスも出動です。
持ってきたコンロを出し、買い出ししてきた食材を並べ、下ごしらえを始めました。
鋳物のタコ焼き鉄板を取り出すと子供たちが集まってきました。


わーいッ!タコ焼きだ~!!
四人の女の子に囲まれ、私がやる私もやると言ってピックを離しません。
仕方がないので火傷に気を付けてねと言って焼いてもらいました。
初めての子もいましたが、お家でやったことあるという子をお手本にしてけっこう上手にクルリとしてくれます。
そうして出来上がったのをハフハフしながら食べて大満足。
全部食べちゃダメだぞ、みんなに配ってきてねと言うと小走りにお皿を持ってテントの中へ行きました。
そんな感じで数回焼き、きりたんぽも頬張り、子供たちと地元のおばちゃんたちは暗くなる前に帰っていきました。タコ焼き焼いてくれてありがとね~。

暗くなってからは大人の部(?)開始です。
地元の議員さんも同席され、缶ビールが配られます。
小泉自然楽校代表の阿部さんからご挨拶があり、小泉ありがとう交流会二次会の始まりです。


美味しい食べ物と楽しいおしゃべり。
小泉ありがとう交流会は
「 小泉の人
 小泉中体育館避難所で暮らした人
 支えた人
 全国から集まったボランティアの皆さん
 当時を思い出しながら語り合いましょう

 生きていることに感謝して
 心おだやかに過ごしたいと思います
 よろしくおねがいいたします
 ありがとう 」
という趣旨で集まりました(ヨシエさんの原文まま)。

これは昨年、同じ日、同じ場所で約束したことでした。
その約束を果たすために、なんて堅苦しい思いは僕にはありません。それは僕の奥さんも同じです。
また来たいね、行きたいなあ、行こうよ、いつから行く?みたいに自然に行こうと決めました。

夜9時過ぎ、僕らは明日の予定があるため途中退席させてもらいました。
何人もの人たちにギュッと固く握手され、また来てねと声を掛けていただきました。
そしてテントの外に出てみると、ひまわりおじさんが待ち構えていてハグをしてくれました。
小柄なのに力強く温かいハグでした。
ひまわりおじさんは自然楽校の林にこだまするような大きな声で最後まで見送ってくれました。

さらに車に戻るとヨシエさんがいて、コレ持って帰ってネとたくさんお土産をくれました。
中でもうれしかったのはヨシエさんお手製の貝殻の根付け(キーホルダー)。いっぱいあるからと3つずつもらいました。
昨年も素敵な陶器のワイングラスをいただいたのですが、この根付けも大事に毎日使っています。

別れを惜しみつつ奥さんの運転で小泉を離れました(奥さんはお酒NGなので飲んでいません)。

そして翌日。
仙台港発名古屋行のフェリーに乗りこみました。
特別割引プランがあり、高速道路を走るよりも安上がりなのです。


船室に荷物を置き、小雨交じりの冷たい風が吹くデッキに上がりました。
津波に襲われたはずの仙台港は、一見すると元の姿に戻って活気に溢れているようでした。
汽笛が鳴り響き、出航。

少しバタバタとした旅でしたが、旅のフィナーレが船というのはなんとも贅沢な気分です。
色々と旅の思い出を二人で話しました。

来年もまた、小泉へ行きます。
でも今度はカヤックを海に浮かべて子供たちと遊びたいと思っているので、暖かい時期にしようかなあとも考えています。
その時にはまた、小泉の皆さんにお会いできるでしょうか。


ゆっくりと流れていく港内の景色を眺めながら、またねと心の中でつぶやくのでした。



東北ボランティア・センチメンタル・ジャーニー  完

2014年4月10日木曜日

東北ボランティア・センチメンタル・ジャーニー ~ その3、小泉の海岸 ~

2014年3月11日、昼。
ネットアートの架け替えが終わり、みんなで近所へご飯を食べに行った後、うちの奥さんと2人で海岸へ行きました。
震災以来、東北の浜に近付いたのは女川の御前浜以外にはありません。


気仙沼の海は空を映して青くきれいでした。
西の風が相変わらず吹いていたので砂浜に打ち寄せる波は静かで、海は穏やかな表情を見せていました。
歩いてみるとこんなサイズの貝殻がゴロゴロ転がっていていました。


大アサリかハマグリでしょうか。
普通のサイズ感ではないので良くわかりません。
もしかして放射能で、なんて考えないでもないですが、おそらく採る人が減ってしまったために巨大化したんだろうと思われます。
岩牡蠣とおぼしき殻も落ちていましたが、寒風吹きすさぶ冬の海岸でなければむくむくと食欲が湧くような大物ばかりでした。

浜はとてもきれいでした。
きれいというのはゴミがないという意味です。聞いた話だとつい先日、地元のサーファーを中心としたグループが浜掃除をしたそうです。

ところがその時、なんと人骨が出てきたというのです。詳しくは聞けませんでしたが、まだまだそうしたことがあるんだなと驚かされるとともに、未だに家族の元へ帰れていない方々の無念に思いを馳せるのでした。


波打ち際に残る建物。シンボリックな佇まいもここまで近付いてみると細かな構造まで見えてしまいます。
タイルがはげ落ちた壁。
ねじ曲げられた鉄骨。
窓から覗く室内。

3年前の今日、ここで起こった出来事は僕の想像をはるかに越え、そして多くの犠牲者を出しました。
僕にはあまりにも禍々しいその存在感。
建物はただ、波に打たれていました。


そして、午後2時過ぎ。
3年目のこの日も昨年同様に気仙沼の小泉地区に立つ津波記憶碑の前に来ました。


慰霊祭を先だって週末に行ったこともあり、また平日でしたので特別な催しはなかったのですが時間が近付いてくるとぽつりぽつりと人が集まりだしました。

午後2時46分。

防災無線から鳴り響くサイレン。
相変わらずの冷たい西の風に吹かれながら、僕には一心に黙祷を捧げることしかできません。


眼下に先ほど歩いてきた海岸と、国道45号線と、建物が一つもない更地が広がっていました。
復興はまだ、道半ばです。

2014年3月30日日曜日

東北ボランティア・センチメンタル・ジャーニー  ~ その2、ひまわりおじさんのネットアート ~

2014年3月11日火曜日。晴れ。
強く冷たい西風が小泉中学校のバックネットに据えられたひまわりおじさんのネットアートのサケをひるがえしていく。


昨年の同じ日に立て掛けたサケのネットアートも一年経ちだいぶ色があせ、ホチキスで止めてある布きれも縮れていました。
この日の午前中はこのネットアートの付け替えをお手伝いしました。

昨夜は遅くまで続いた懇親会のその後に、小泉の仮設住宅に住んでいるOさんから「新居で風呂に入ってってくれ!」とお誘いを受け、ご厚意に甘えさせていただきました。

Oさんの新居は高台にありました。もう深夜でしたが周りにも新築や建築中の家がいくつかあるようすがうかがえる所です。まだ手の入っていない庭の一角に車を止め一歩踏み出すと、ざくりと音がして霜柱の感触が足に伝わってきます。
新居といってもOさんはまだ引っ越しをしていません。でも家財道具はほぼ持ち込まれていて、電気も水道もガスも通っていました。
まだ新居に慣れていないようでスイッチの場所を探したり、肝心のお風呂の使い方もよくわからなかったのでOさんと僕とウチの奥さんの三人であーだこーだと相談してやっとこさ湯船にお湯を張ることができるといった具合です。

お湯が張り終わるまでの間、リビングでOさんから色々な話を聞きました。
Oさんのように山や高い所に土地を持っている人たちはこうして新居を建てることができるようになってきましたが、そうでない人たちは2015年春に完了予定の造成工事が終わらないと仮設住宅から出ることもできないそうです。住宅の建設はその後ですから、仮設住宅がなくなるにはまだ2、3年は掛かるだろうとのこと。まだまだ復興は道半ばだなあとしみじみ思いました。

仮設住宅も住めば都、というわけにもなかなかいかないようで、悩みの種は「音」と「湿気」だそうです。
「音」は隣近所の生活音。話し声やTV、足音ならアパート暮らしをしたことがある人には分かると思いますが、衣擦れや寝返りをうったのまで聞こえてしまうそうです。
Oさんがもっぱら困っているのは寝っ屁。Oさんが寝っ屁をすると隣の女の子が「お母さん、お隣のおじちゃんまたオナラした~」とわざわざ報告をするそうです。

そして「湿気」ですが、これは土台がきちんと作られていない仮設住宅の特徴で、室内はかなり湿気っぽいそうです。それだけではなく、換気や布団干しをしたいのに外はどこもかしこも工事中で道路にはダンプが行き交い、いつもホコリが舞っていてとても窓を開けたり洗濯物を外に干したりする気になれないというのです。
こうして布団は湿気ていき、部屋はカビ臭くなっていくそうです。

Oさんはしきりに自分はラッキーだ、これからここで住むってのがいまいちピンと来ないと言っていました。
ちなみにOさん家族はまだ誰もこの新居でお風呂に入ったことがなくて、誰が一番最初に入るか?というようなことを話し合っていたのですが、じゃあせっかくだからボランティアとかで来る知っている人に入ってもらおうと考えていたそうです。
ということでOさん家の新居お風呂第一号は僕の奥さんになりました。
いいのかなあ・・・と恐縮しつつも、今度来る時も入っていけ、いや泊まっていけと勧めるOさんの笑顔をみているとなんだか僕らまでうれしくなってきて、また小泉には来なくちゃだなあと思うのでした。

さて、ネットアートに話を戻します。
まずはサケのネットアートの撤去から。


ひまわりおじさん自ら脚立に登ってネットアートを固定していたロープなどを切っていき、一気に外しました。
それを広いところへ持って行って数人掛かりで布きれをとっていきます。

ネットアートはネット(網)に布きれ(ターポリンかな)をホチキスで留めていき絵を完成させるモザイク画のようなものです。
デザインはひまわりおじさんがします。今年は栗原市に以前寄贈したひまわりのネットアートを逆寄贈?していただきましたが、昨年のサケは小泉の人たちと作り上げたものでした。

ていねいに布きれをはずし、ネットは小泉の方が再利用したいというのであげることになっています。また、枠の木材もくぎ抜きをして使えるものは新しいひまわりのネットアートに再利用し、残りも小泉の方に引き取っていただきました。


二手に分かれて同時進行でひまわりのネットアートのほうも作業が進められていました。

今年はひまわりおじさんと海さん(海藤さん)と相棒のナンシーさん、小泉の方々数名と、小泉自然楽校の生徒さんたち、そして震災当時からのボランティア仲間数人が集まりました。
毎年きちんとした計画を立てているわけでもなく、たぶん今年もひまわりおじさんがネットアートするよなあ、じゃあ小泉の人たちにも会いたいし行こうかな、みたいなノリで集まってくる人たちばかりです。
小泉の人たちもひまわりおじさんからは連絡がありますが、他に誰が来るかなんて知りません。
でもみんなすっかり顔見知りです。

そしていよいよ完成です!


しっかりとバックネットに固定された色鮮やかなひまわりのネットアートが風になびきます。
記念にパシャリ。
青空も広がり、みんなの笑顔もひまわりに負けじと輝く3月の小泉でした。

2014年3月23日日曜日

東北ボランティア・センチメンタル・ジャーニー ~ その1、金沢から小泉へ ~

金沢を出発し、一路東北へ。


600kmあまりのドライブでしたが、伊勢から直接行くことを考えれば相当楽な行程です。天気も上々、寄り道、つまみ食いもしながらののんびり運転でした。
途中、facebookの投稿を見て僕らが宮城へ向かっていると気付いた知り合いの方からメッセージが入り、国見PAで桃のソフトクリームを食べるべし!との情報をいただいたので、素直に従いました。


濃厚な蜜桃フレイバーを堪能し、その後はノンストップで今夜の目的地、栗原市へたどり着きました。
栗原では僕と奥さんの共通の友だちと夕飯を食べ(ここでもドタバタがありましたが割愛)、翌日、僕の思い込みと勘違いで登米市鱒渕小学校跡へ向かいました。


勘違いというのは、前夜の話の中で「手のひらに太陽の家」に僕らがお世話になったおばちゃんが出勤しているだろうから会いに行こう!となったのですが、僕はすっかりこの鱒渕小学校跡の裏手にできたものとばかり思い込んでいて、行ってみて違う施設が建っていて、あれ?違ったの??となってしまった次第で、、、。
ただ、ここ鱒渕小学校跡、特にこの体育館は、東日本大震災直後にアウトドア義援隊(後にRQ市民災害支援センター)という名のもとにボランティア有志が集まり、救援物資の配送などをする拠点としたボランティアセンターが設けられた場所で、僕ら二人にとってはとても思い出深い場所なのです。
今はもう震災前のように誰にも使われず、ひっそりと、固く閉じられた扉から中を覗きこみ、往時の記憶を辿るのでした。


さて、改めて「手のひらに太陽の家」を目指して登米市の方へ戻りました。
昨夜から断続的に降っていた雪も太陽が高く昇るころには青空が覗くようになってきました。
カーナビよりも信頼のおけるグーグルマップを頼りに、難なく辿り着けました。


木造の建物に大きなソーラーパネルが屋根に並ぶ「手のひらに太陽の家」
詳しくはリンク先のホームページを参照していただきたいと思いますが、簡潔に説明すると、福島県の子供たちを週末などを利用して一時的に預かることによって、放射線濃度の高い地域から離れて低い地域にいる時間を作ることで健康被害などを抑えたいという願いで立てられた施設です。

へえ、素敵なところだねえとご挨拶へ行くと、見覚えのあるカヤックキャリアが載せられた赤い車が、、、。なんとアースクエストの紺野さんがいるじゃないですか!
先日、九州の門司で開催されたJSCA日本セーフティカヌーイング協会の総会・研修会でもご一緒した紺野さん、この日は夕方から実施する震災サバイバル研修(だったかな?たぶん)のために「手のひらに太陽の家」に来ていたとか。
今回の東北行では時間が作れそうもなく、紺野さんの奥さんや娘さん(注:旦那さんは含まれておりません笑)に会いに行くことができずスミマセンと連絡をしていたのですが、まさかばったりお会いすることになるとは思わず、お互いにびっくりしたのでした。

せっかくなので紺野さんにお時間をいただいて施設の案内をしてもらい、さらにJSCA公認スクール委員会の臨時委員会!?も開き、昼前に出発しました。

肝心のお会いしたかったおばちゃんは、たまたまお休みの日だったようで電話してみると、せっかくだから来なさいとご自宅にお呼ばれしてランチにスープカレーを御馳走になり、別れを惜しみつつ登米を後にして気仙沼市小泉地区へと車を走らせました。

小泉中学校のすぐ横にある小泉公民館に到着したのは午後3時。
この日、午後2時から「ひまわりおじさん」と海藤節生さんがトークショー(腹話術)とライブをしていました。このお二人にも僕らは大変お世話になっております。
登米でゆっくりしてしまった分、ライブには途中からお邪魔させてもらいました。


ステージにはひまわりのネットアートが飾られていました。

ひまわりおじさんは、阪神淡路大震災のころから震災ボランティアとして、そして防災教育を積極的に取り組んできたおじさんで、東日本大震災後にはここ、小泉中学校避難所(当時)に「ひまわり温泉」を開設してお風呂を提供し、また、「ひまわりサロン」も開いて被災者の方々とボランティアの憩いの場を提供してきました。
小泉地区に仮設住宅ができてからも年数回被災地を訪ね歩き、小泉には校庭のバックネットに大きな「ネットアート」を飾ったりと様々な活動を続けています。

海藤さん(愛称はうみさん)は元プロのミュージシャンで、現在は「「水守の郷・七ヶ宿」代表として宮城県と福島県の県境に近い仙台市の水瓶・七ヶ宿ダムのほとりでピザ屋さんをしています。

この日は平日ということもあり子供たちの姿はありませんでしたが、おそらく「ひまわりサロン」の常連だったであろうおばちゃんたちが多数集まっていました。

主催してくださったのは地元小泉の「小泉自然楽校」の阿部さん。
生徒さんたちもライブの準備を手伝ってくれていました。
皆さん、お疲れ様でした!

4時前に終了し、小泉中学校仮設住宅の集会所へ移動。今夜はここで懇親会です。


この後もボランティアに来ていたメンバーが何人か合流し、集会所には小泉の大人も子供たちも混ざって懐かしい面々で楽しく過ごすことができました。

ただ、酒が進むとオジサンたちはみな子供化するもので、差し入れでいただいた美味しそうなスイスワインのコルクをなんとかして抜こうと、ネジを差し込んで手袋をはめて大の大人が数人がかりで四苦八苦。見事ご馳走にありつけて大拍手!なんておバカなこともしていました。


持ち寄りのお料理には美味しいおこわやホヤの刺身なんかもあり、小泉の夜はあっという間に更けていったのでした。

続く。

2014年3月17日月曜日

友人の初個展

金沢の友人が個展を開くというので遊びに行ってきました。
ただ行くだけではなく、大事な使命もありました。
というのは彼女には僕の結婚式の時にウェルカムボードとリングピローを作ってもらい、それも個展に出展したいということだったので、ではではとウチの奥さんと二人で持っていった次第です。


3月8日(土)。金沢市内にあるカフェ&ギャラリー’ミュゼ(musee)’。
兼六園にほど近い路地にあるその建物の二階へあがると、和服姿の友人の姿がありました。


サイフォンの並ぶカウンターとテーブルが数脚あるだけの隠れ家的カフェに設けられたギャラリースペース。そこに「Yuuyu」の作品たちが飾られていました。

「Yuuyu」は彼女が手掛ける小物、雑貨のブランド名。といってもこうしたモノ作りが本業ではなく、副業にしているわけでもありません。あくまでお友達に頼まれたり、プレゼントしたりするために作ってきたものばかり。
それを身に着ける、使うひとをイメージしながら作り上げていく作品たちにはそれぞれにたくさんのエピソードが詰め込まれています。


額に収まっているのは結婚式の時に受付に飾る’ウェルカムボード’です。
手前のが僕たち二人のために作ってもらった作品。


海をイメージしたというこのウェルカムボードには、たくさんの貝殻やシーグラスが散りばめられ、額のガラス面にはサンドアートもあしらわれています。
そして僕たち二人の似顔絵はなんと一筆書きなんです!これは高校時代の同級生にお願いして描いてもらったとか。
何度見てもすばらしい出来栄えですなあ。うっとり~。

左下にあるのがリングピローです。


これは、ウチの奥さんと彼女の二人で金沢市内のホームセンタームサシで二時間余り素材を探し回り、じゃあ出来上がったら連絡するね~と言って別れた後、金沢から伊勢に向かって運転している途中で「出来たよ!」とメールが来てびっくりさせられた一品。
贈るひととイメージがはっきりしていればすぐにカタチにできてしまう彼女の才能に驚かされたものです。


こちらは和装婚の友達に送った髪飾り。
着物の色に合わせて作ったつまみ細工です。


こちらもつまみ細工の一品。
レースもあしらい、和と洋の調和を意識した作品です。
(あ、もちろん受け売りですから笑)


漆喰(?)の壁に残る穴の数々が、これまでに多くの個展などを開いてきたことを静かに物語っていました。その1ページに「Yuuyu」も名を連ねたことになります。

個展初日のこの日、夕方6時から開かれたレセプションパーティーでは、彼女の高校時代の友達でヴァイオリニストの女性の方が生演奏を披露してくれました。


そしてパティシエをしている友達二人からお菓子が届けられ、ヴァイオリンの演奏を聴きながら、かわいい作品たちを見ながら、ゆったりと時間を過ごすことができました。


友人の今後に期待です!いろいろありがとう!!
夢、追っかけようね~( ´ ▽ ` )ノ

2014年3月5日水曜日

ハマジンチョウ

五ヶ所湾の獅子島に自生するハマジンチョウの花が見頃を迎えています。


ハマジンチョウはオーストラリアや東南アジア、南太平洋の熱帯・亜熱帯地方に広く分布している低木で、日本では九州の五島列島、天草や鹿児島などに自生しているのが確認されていますが、本州ではここ南伊勢町五ヶ所湾の獅子島だけ、しかも自生地の北限といわれています。

南伊勢では2、3月に紫色の小さな花を咲かせます。
とても控えめな花で、大きさは指の先ほどしかなく、花は茎の一番上ではなく一段下の葉っぱの付け根に咲き、遠目には咲いているかどうかも分かりにくいくらいです。
強い匂いもなく、顔を近付けても潮の香やアオサのほうが勝ってしまいます。


自生しているのは五ヶ所湾の北の端、五ヶ所浦の集落からすぐ見える獅子島南岸です。
獅子島には弁財天さんをお祭りした社があり、赤い鳥居は海沿いを走る国道260号線からも良く見えますが、ハマジンチョウが咲く南側は道路からは見えません。

ハマジンチョウの種子が藤村の詩で詠われたヤシの実のように南の島から流れ寄り、湾の奥の獅子島の浜に辿りついて自生したのではないかと考えられています。


一時は廃滅の危機に瀕したこともありましたが町の人たちの手によって保護され、今では挿し木で増殖した株を町内で見ることもできるようになりました。


町の人たちでも普段はなかなか渡ることのできない獅子島ですが、カヤックならいつでも本州唯一の自生地へ見に行くことができます!

ハマジンチョウの花が咲くのはこの3月まで。

旅情を誘うはかなくも逞しいハマジンチョウの花をサニーコーストカヤックスのツアーで見に行きませんか?

ホームページはこちら!