2013年7月4日木曜日

和歌山県・友ヶ島ツーリング 1

6月24日、カヤック・ジャンボリーも無事に終わった翌日に、カヤックガイドの人たちばっかり11人で和歌山と淡路島の間に浮かぶ友ヶ島へ漕ぎに行ってきました。


天気は快晴。移動やら買い出しやらで出艇は昼を回ってしまいました。
折しも大潮の干潮。加太の海岸は潮が引きカヤックを運ぶのも大変でしたが、本当の「大変さ」は海にありました。

友ヶ島が浮かぶ友ヶ島水道は、大阪湾と太平洋を結ぶ狭い海峡だからです。

友ヶ島という呼称は一つの島を指しているのではなく、地島と沖ノ島という大きな二つの島と、神島、虎島の小さな二島を合わせた総称です。
古くは修験道の修行の地とされ、今なおその心得(?)を彫り記した岸壁がありました。
それが幕末、ペリー来航以来は太平洋から大阪湾へ通じる海上交通の要所とされ、砲台なども備えた要塞が築かれました。
戦後、軍事施設はそのまま放置され、現在も当時の面影そのままに残されています。

というのはシーカヤックを漕いでいる時にはあまり関係ありません。
問題なのは潮流でした。
速いんです、これが。


こちらの写真はありがちなアングルですが、実は結構流されています。
この時、潮は北から南へ、つまり大阪湾から太平洋の方へと流れ出ていました。そして僕らはそこをすこし遡って和歌山側から地島へと渡ろうとしていたのですが、しっかり流れているのでまるで川のようにエディができ、この写真の時は若干後ろから押されている感じでした。
そしてすぐ左手にはエディライン・潮目があり、その向こうには目で見てわかる速さで流れていました。
しかもそこを船も通ります。
大型の船が通る本船航路は淡路島寄りの海峡なのでタンカーのような船は通りませんでしたが、それでも十分に大きな貨物船などが頻繁に通っていて、渡るタイミングを待たなければなりません。

そして渡り始めると、、、速い速い。
ほんの1km先の地島の、手前の岬の山とその奥の山の重なりがグングンずれていきます。
自分の意思・感覚とは無関係に、無遠慮に動く遠くの景色を見つめ続けるのはけっこう気持ち悪くなります。
やっと渡り切ったと思ったらまた潮目です。
海面がバシャバシャもやもやしていてどうこがどう流れているのか分かりにくく、僕はさっさと漕ぎ抜けることにしたのですが、普通に漕いでいた人たちはまるでスローモーションになったようにその場に絡め捕れたりしていました。

それでもまあ皆さん無事に横断終了。さすがです。

そのまま地島の南岸を漕ぎ進むと、今度は沖ノ島との海峡です。
当然こちらも速いです。
むしろこっちのほうが速いようでした。
さらに、ここにはたくさんの遊漁船が潮流を遡り、また流されしながらたむろっていました。

とりあえず遡ります。鯉や鮎の辛さが身に沁みます。
今度は岩場の間をすり抜ける作戦です。


写真じゃあ伝わりませんね。腕の問題でしょうか。
真っ向勝負するととても大変なので、皆さん反流や波のタイミングを見計らってすり抜けていきました。
僕も負けじと頑張ります。
以前、瀬戸内のしまなみ海道で受講した研修会の成果かなんとか通過。ふぅ。

遡っておいて、またまた海峡横断です。
あまりにも遊漁船が多いので、えいやっと渡ってしまいました。
それでも船団の統制がとれるからこのメンバーはすごいですね。


やっとたどり着いた沖ノ島。と、岸壁になにやら彫られています。
先にも触れた修験道に関係したもので、「五所の額」というそうです。
そこを横目に通り過ぎ、沖ノ島の西の端、もう淡路島が目と鼻の先に見える岬の手前で上陸。


漕いだのはほんの2時間くらいでしたが、なにやら気疲れするパドリングでした。
やれやれどっこいしょと浜の上に登ると、そこには芝生のキャンプサイトがあるのでした。


続く。。。




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