2014年1月29日水曜日

南伊勢から南国フルーツを!

さて、これはなんという果物かご存知でしょうか?


答えは「アテモヤ」です。
南伊勢町の農家さん里の駅ないぜしぜん村が栽培しています。

もともとは南国のフルーツで、「釈迦頭」と「チェリモヤ」を掛け合わせて作られた果物です(すみません、浅学なものでどちらも食べたことありません・・・)。
糖度が高く20度から25度でとっても甘くてクリーミーな味から、’森のアイスクリーム’と言われています。
甘くてビタミンも豊富なのですが低カロリーで、近年人気急上昇中とか。

サイズはソフトボールくらい。表皮は熟れると見た目に反して柔らかくなります。
追熟といって、買ってからしばらくおいておくと熟れてきて全体が柔らかくなっていき、低反発ウレタンくらい(!?)になったら食べごろです。


そのままでも食べられますが、冷凍して食べると本当にアイスクリームのような感じになります。僕的には凍らせて食べた方が好きでした。

大きな種がいくつも入っているのでコレを植えたら自家栽培できるのでは?なんて考えましたが、栽培はすごく難しいらしく生産量も限られているので高級フルーツなのです。
んがぐぐ。

収穫期も限られていて、残念ながら今年度はもう時期が過ぎてしまったようです。


また来期、南伊勢で採れる南国の風味を楽しみたいものです。

2014年1月23日木曜日

~一枚の写真から綴る~ 第11次瀬戸内カヤック横断隊 参加報告10 エピローグ

11月22日16時20分、岡山県渋川海岸に着陸。
浜には海洋ジャーナリストで初代瀬戸内カヤック横断隊隊長の内田正洋さんが出迎えてくれました。


「おおぉ、かっこええのぉ。横断隊が漕いでるのを陸から見たのは初めてだなあ」
第一次から第十次まで全航程を漕ぎ抜いてきた内田さんのセリフには計り知れない重みがあります。
’完漕請負人’こと赤塚くんを見付けてザマアミロと高笑い。そして今日だけでも相当な距離を漕いできたメンバーたち一人一人に声を掛けてくれました。

豪胆にして義理堅い。
瀬戸内カヤック横断隊が10年続き、さらに次の世代へと受け継がれていく背景には、この内田さんの海の男気があってこそだとつくづく思うのでした。

写真中央の奥にポッカリと浮かんでいる三角形の島は大槌島です。
数年前、厳冬期の三月初旬にあの小島に二日間も缶詰にされたこともありました。
この瀬戸大橋周辺海域でもいろんな思い出、出来事があったなあと暮れなずむ瀬戸内を眺めながら缶ビールをぐびりとあおるのでした・・・。



さて、10回に渡って書き綴ってきました第11次瀬戸内カヤック横断隊の参加報告でしたが、以上で終了となります。
本当はもっともっと書きたいことや言いたいことがありますが、それはまた別の機会としましょう。

もしご興味があれば瀬戸内カヤック横断隊の公式ブログもあります。
横断隊ブログでは参加した隊士の皆さんのレポートがアップされていますので、ぜひチェックしてみてください!

2014年1月11日土曜日

~一枚の写真から綴る~ 第11次瀬戸内カヤック横断隊 参加報告9

11月22日金曜日。
タイムオーバーが確定し苦渋の決断をくだした後、瀬戸大橋を目の前にして大型船がゆっくりと行く手を阻んだ。
それは堂々と、悠々と僕らの前を横切って行ったのだった。


瀬戸大橋を昼までに通過する。
それがこの日のリーダー、西表島まんさくツアーサービスの碇さんが立てた小豆島まで完漕するための計画だった。

昨日辿り着いた走島から、最終目的地小豆島まで約70km。
午前5時にブリーフィング。
夜明け前に出艇。
島から島へと海峡横断を繰り返し、最短コースで小豆島を目指す。
碇さんの計画は大胆かつ、緻密なタイムスケジュールで組み立てられていた。

が、それは果たせなかった。
そして昼。広島に上陸休憩した際に今回の最終着陸地点を渋川海岸としたのだった。

その後のことである。
おそらく新造船と思われる大型船が本州側からのっそりと姿を現し、その巨体が眼前を過ぎていった。

人は大きなモノを見ると感動するものだ。
生き物で言えばゾウやクジラ、建物では瀬戸大橋や超高層ビルなどを目の当たりにすると、おおぉ、と感嘆を漏らす。
この大型船は乗り物としては最大級だろう。
瀬戸大橋を背にして、遠近感が狂うサイズだ。
それがゆっくりと瀬戸大橋をぎりぎりで潜り抜け東へと去って行くのを見送りながら、僕はすっかり毒気を抜かれたようになったのだった。

ようやっと瀬戸大橋を潜る。
潮がまだ速くそれなりに緊張感のある通過だったが、僕はと言えば旅は終わったんだなあとしみじみ感じ入っていた。
こういうのを緊張の糸が切れる、油断と言うのだろう。
まるで僕の気持ちを見透かしたように数年来使い込んだカヤックフラッグが千切れて風に飛ばされていったのにすぐ気付かなかった。
後には白い棒がアンテナのように風に揺られていた。


針路を少し北寄りに取り漕ぎ進むと、遠くに渋川海岸のホテルが見えてくる。
ゴールまであと少し。
疲労感が両肩に重くのし掛かってくるのをうっちゃり、漕ぐ手に力を込める。


夕映えに瀬戸内の海が蜜柑のような橙色に染まる中、20数艇のシーカヤックが陸を目指した。


航海ログ
11月22日
05:00 ブリーフィング
06:00 大飛島南岸 通過
09:15 佐栁島南岸 到着
09:30 佐栁島南岸 上陸休憩
09:45 出発
11:00 広島南岸 通過
11:45 広島南東岸 上陸休憩
12:25 ミーティング ゴールを渋川海岸に決定
12:40 出発
13:10 本島南岸 到着
14:30 瀬戸大橋 通過
16:20 渋川海岸 到着 終了

2013年12月31日火曜日

~一枚の写真から綴る~ 第11次瀬戸内カヤック横断隊 参加報告8

11月21日木曜日。
快晴微風。海況も上々。
朝6時半出艇。
諦めの悪いオトナたちが明日の航程を意識して少しでも小豆島へ近付いておこうと漕ぎ始めた。

この日、リーダーを務めるのは小豆島のドリームアイランドの連河さん。昨夜リーダーを指名されてからのハイテンションのまま船団をぐいぐい引っ張っていく。


潮の動きの小さいうちに鼻栗瀬戸を通過。
しまなみ海道の数か所ある難所のうち、どこを抜けるかが瀬戸内カヤック横断隊の航程の大きなポイントの一つとなる。
転流時間やその後の針路も考慮して決めるが、一つ間違えると次の転流時間まで待たなければならなくなる時もある。実際、転流時間に間に合わず、どうしても漕ぎ上がることもできずに半日待機したこともあるという。

予定通り無事に鼻栗瀬戸を抜けることができた勢いがあったからだろうか、この日は夕方暗くなる前まで漕ぎ続け、60km弱進むことができた。

それだけではなく、久しぶりに穏やかな海を、瀬戸内らしい島並が続く優しい風景の中を漕ぐのがとても楽しい1日だった。
そしてさらに、潮流の顕著なエリアでもあり細かい針路変更やルート取りが要求され、島から島への長い海峡横断もあったりと、漕ぎ応えもある1日だった。

こういう日に限ってデジカメでの写真は少なく、休憩時にフェイスブックにアップした携帯で撮った写真ばかりだったりするものだ。


写真は鼻栗瀬戸に架かる大橋の手前にて。
難所の前でこうして写真を撮る余裕があったことがうれしい1枚である。


航海ログ
11月21日
06:00 ブリーフィング
06:30 大三島南岸 出発
07:30 鼻栗瀬戸 通過
08:00 伯方島北西岸 到着
08:55 岩城島南端 通過
09:30 赤穂根島北岸 到着
10:10 弓削島西岸 通過
10:35 弓削島北西岸の神社 休憩
12:20 横島 横山ビーチ 上陸休憩
13:25 出発
14:30 アブト観音 通過
16:45 走島南東岸 到着 終了

2013年12月27日金曜日

~一枚の写真から綴る~ 第11次瀬戸内カヤック横断隊 参加報告7

11月20日水曜日。
午後4時、NHKラジオ第二放送にチューニングを合わせる。
気象通報を聞き取り、天気図用紙に各地の天気、風向風速、そして気圧を記入していく。


手慣れた調子で次々書き込んでいるのはモンベルに勤める岩野さん。
今年行ってきた知床シーカヤックシンポジウムで新谷さんにお会いして色々と刺激をいただいてきたそうだ。
気象通報から天気図を聞き取り、現実的に実用的に使っているシーカヤックガイドは新谷さんしか僕は知らない。理由は知床半島では携帯電話が使えないからだ。

岩野さんは先日、スマートフォンを辞めていわゆるガラケーに戻してしまった。もちろんガラケーでもネットを介して天気予報も天気図も見ることはできるが電池の消耗が激しい。
横断隊のような7日間漕ぐ旅の場合、電源の予備の確保は重要だ。
しかし岩野さんの場合それが気にならなくなった。ガラケーはたまにオンにするだけ。そして天気予報はラジオから得る。ラジオはすこぶる燃費が良い。
荷物が少なくなった~、と喜んでいた。

僕らはスマホという高度に便利な道具を使い、詳細なデータをネットから得る。
そのために予備の電池をたくさん用意する。僕はソーラーバッテリーチャージャーを前回から持っていくようになった。
便利だ便利だと喜びながら、道具が増えていく。荷物が重くなる。お金も掛かる。

ラジオと天気図用紙とエンピツさえあれば天気図を書き起こし、自分で天気を予測することもできることを忘れていた。お恥ずかしい。
道具はシンプルなほうがいい。
そうすると旅はもっと楽しくなる。
学生時代には当たり前だったことを思い出し、ちょっと懐かしむ。

出来た!と岩野さんが言う。
昼過ぎにスマホで確認した天気図が用紙の上に再現されていた。


大三島南岸のよくお世話になる浜辺で空を見上げる。雲の動きは未だに速い。
午前中の早い時間に岡村島からここまで漕いできたが、その後風が上がり動けなくなってしまい結局停滞となった。

今回の横断隊では天気を読むことがとても重要だったシーンが多かったように思う。
そしてみんなの観天望気にも非常に興味をもったものだ。
湯浅湾アイランドストリーム平田さんが上空の風は数時間後に地上に降りてくるからこの後風向きが変わるかもしれないと言う。
白石島の民宿はらだの原田さんが雲を見詰めてこりゃあ風が上がりよると言う。

天気はネットやラジオから情報を得るだけではなく、現場でもまた得られるものだと改めて思った。
砂を巻き上げて吹き抜けていく西風に吹かれながら、注意深く空を、雲を、海を見詰めた。

残りあと2日間だ。


航海ログ
11月20日
06:30 ブリーフィング
06:50 岡村島南岸 観音崎 出発
08:10 大三島南岸 到着
10:00 ミーティング 待機決定
11:30 再ミーティング 偵察へ
13:30 再々ミーティング 停滞決定

2013年12月21日土曜日

~一枚の写真から綴る~ 第11次瀬戸内カヤック横断隊 参加報告6

11月19日火曜日。
南西の風がやまない。

愛媛県岡村島南岸、観音崎。
早朝から数回ブリーフィングをし、リーダーを中心にどうするかをみんなで話し合う。
そして正午。
リーダーを務める沖縄のバジャウトリップ西表フィールドサービスの赤塚くんから停滞宣言が下された。


7日間で250km以上の航程を漕ぐ瀬戸内カヤック横断隊にとって、丸一日の停滞はゴールまで完漕する可能性を下げてしまう。
それが分かっているから赤塚くんのこの決断はとても重いものだったに違いない。
彼はこの日、いつも海と空を眺め、何度も堤防の先へ足を運んだ。

横断隊の目的は必ず完漕することではない。
完漕はあくまで7日間漕いだ結果としてもたらされるものであり、目的は毎日毎日考え、漕ぎ進むことだ。そう考えると完漕は手段と言えるかもしれない。
それでもこだわってしまうのが男の子というものだ。

最終的に停滞と決めるまで、朝7時のブリーフィングに始まり、9時半、そして12時と計三回全員で集まり話し合った。
朝は野営した浜の裏手にある観音崎へ登り、高台から海を観察もした。
行く手は白波が立ち、来島海峡を抜けてきた大型本船が上下するようなうねりもあった。
浜に戻ると目の前の海岸はサーフが渦巻き、飛沫が頬に当たった。

日が昇り浜にも太陽が照らすようになっても風は落ちない。
潮が満ちてきて、今や波飛沫はカヤックにも掛かりそうだ。
昼まで待機と決まり、僕はパドリングウェアを着替えた。

そして昼。もう30分くらい前からほぼ全員が焚火の前に集まり、最後の一言を待っているといった態だった。
リーダーの停滞宣言は口に出すまでもなくみんなが納得していた。


この昼までの時間のなんと濃密だったことか。
みんながそれぞれに色々なことを考えていたに違いない。
海を見る。
空を見上げる。
波を眺める。
風を感じる。
海図を開く。
スマホで天気予報をチェックし、天気図を読む。

後日、ある人からなんで朝一番に停滞判断をしなかったのか?と問われたが、なるほど、普段カヤックのガイドをしているとその日の予定は朝に決めてしまうものだが、横断隊ではこうして昼まで待機し考え悩みチャンスを待つというのが当たり前なような気がした。


待てば海路の日和あり。
この日はついにその好機は訪れなかったが、それもまた海旅である。
なんとしても事故だけは起こしてはならないという想いもある。

海に出ずとも横断隊で学ぶことは多いのである。


航海ログ
11月19日
6:00 ブリーフィングを7:00に延期すると伝達
7:00 すぐの出発を辞め、全員で観音崎の高台へスカウティング後、さらに待機と決定
9:30 再ブリーフィングで昼まで待機と決定
12:00 再々ブリーフィングで本日の停滞を決断
午後は各自、自由に過ごす。

2013年12月19日木曜日

~一枚の写真から綴る~ 第11次瀬戸内カヤック横断隊 参加報告5

11月18日月曜日。
三日目にして初めて日の出後の出発。
天気予報は下り坂。
午前中の早い時間に下蒲刈島へ渡らないと、身動きが取れなくなる可能性もあった。


当初、安全策として倉橋島の東岸沿いに北へ漕ぎ上がり、情島へ渡ってから様子を見て海峡横断をする作戦だった。
が、海況は思った以上に良く、目指す下蒲刈島もその先の上蒲刈島もすぐ近くのように見えていた。
その日のリーダーはその誘惑に魅かれ、補佐をしていた僕はそれでも頑なに最短距離での海峡横断をすべきだと考えていたその時、後列から村上隊長が、
「今のうちに渡っちゃおうよ」
と声が掛かった。

リーダーの決断は速く、そしてまた僕の心変わりも素早かった。
隊は一気に海峡横断を開始した。
この判断が功を奏した。

途中から追い風追い潮となりうねりはどんどん大きくなるにしたがい操船に苦心するメンバーもいたが、隊のペースは非常に速く、本格的に風が強くなる前に下蒲刈島南岸の梶ヶ浜に辿りつくことができた。
ここは堤防で囲まれ上陸もしやすく、トイレも水場もあり、この後のルート取りを話し合う十分な余裕もできた。

もし安全策だと思い込んでいた作戦通りに進んでいたら、海峡横断の途中で強風に晒され隊はバラバラにされていたかもしれない。
ふと、来し方を振り返りぞっとする。
今や海峡は白波が立ち、時折強烈なブローが海面を削るように吹き荒んでゆくのが見えた。

海旅では一瞬の判断がその後の航程の明暗を分けることがある。
海峡横断はいつも緊張の連続だ。


この日、さらなる難所が待ち構えていたが、それを全員が乗り切ることができたのはこの朝の海峡横断で消耗しなかったからだと思う。
村上隊長の観天望気に脱帽したのであった。


航海ログ
11月18日
07:00 ブリーフィング
07:20 倉橋島 亀ヶ首南岸 出発
09:00 下蒲刈島南岸 梶ヶ浜 到着
09:40 蒲刈島海峡 通過
11:05 上蒲刈島北東岸 赤石 通過
11:35 豊島 到着
12:20 三角(みかど)島 上陸休憩
13:40 出発
14:25 大崎下島北岸 到着
14:40 岡村島西岸 到着
15:00 岡村島観音崎の浜 上陸 終了